告白。ポルノを8日ぶりに見てしまった

いろいろエッセイ
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 せっかくポルノをやめることができていたのに……。何とまたもや星はポルノを見てしまったのである。
 弱い。弱い。本当、弱いよ。ポルノ断ち8日目にして誘惑に屈してしまったのである。5分だけしか見ていない、と言い訳をすることもできるが、何か自分に対する失望感のようなものが漂っている。
 事の発端はTwitterだった。タイムラインになぜか女性のはだけそうな胸の写真が現れたのであった。それで、我慢ができなくなり……、といった次第なのである。
 この出来事を批判するのであれば、星がどうしようもない奴だということになるだろう。一週間はクリアしたけれど、二週間ポルノ断ちをすることができなかったのだから。星は本当、駄目な奴だよ。本当、しょうもない。あれだけポルノなしでやっていくんだとか言ってたくせに、その当本人がこのザマなのだから。星さん、あなた言行が一致してないよ。おっしゃる通りでございます。返す言葉もございません。ただただ、申し訳ありません、と言うしかない。
 思えばこの8日間、でさえもわたしにとってはなかなか試練だった。時々、むしょうにポルノを見たくなったからだ。そして、もう自分がポルノにさようならをしていて、もうあの美女たちの裸体を眺めることができないのかと思うと、一抹の寂しさ、悲しさのようなものを覚えるのであった。この8日間の間に5回はポルノを見たいという衝動に駆られたように思う。そして、そのたび心を鎮め沈静化したのだった。けれど、今回はそれができなかった。Twitterのはだけそうな画像を見たら一気に性欲が点火して、激しく燃え始めたのだ。それでも理性はこの緊急事態を何とかしよう、どうにかしようと鎮めようとした。しかし、できなかった。理性の力は大規模な山火事を消化しようとする消防隊のようなものでしかなく、自然鎮火を待つしかなかったのだ。
 ここまでポルノ断ちを破ってしまったことについて深刻なトーンで書いてきた。でも、わたしのいいところを探すのであれば、とても正直なところは評価できるのではないかと思うのだ。別にわたしがポルノを見ようがどうしようがわたしの勝手であり自由であり、誰にも迷惑をかけていない。人を傷つけることもしていない。別にいいじゃないか、とも言えるのだ。しかし、それをわたしは言わなくてもいいのに、書かなくてもいいのに、こうして公の場で大胆に報告している。別に報告する義務なんてさらさらないのに、である。ここにわたしの正直さがある。誠実さがある。わたしはポルノをやめる本を紹介した手前、自身がそれをできていないことを、破ってしまったことを報告しなければならないと思ったのだ。そして、今こうして言いにくいことを伝えている次第なのである。
 こういう状況になってしまって、ますます思うのはポルノをやめるのは、なかなか一筋縄ではいかない、ということだ。そう簡単にはこの呪縛からは逃れられない、ということだ。でも、だからこそ、そこからの解放は何にもまして代え難いものがあるのだ。やめるのが難しければ難しいほど、やめた時には素晴らしい風景が待っているのである。そう信じたい。やめたらきっといいことがある。だから、やめようとしているわけだし、そのことで悪戦苦闘してもがいているのである。
 8日間という時間を長かったとみるか、短かったとみるか。見解は人によって分かれることだろう。でも、わたしにとっては長かった。まるで三週間くらいの時間が経過しているかのように思うのである。それくらい長かった。何しろポルノを見ないとその分、毎日の生活の充実度、言うなれば生活の密度のようなものが上がるから、時間の流れがゆるやかに感じられるようになるのである。だから、とてもとても長く感じられた。
 だから、ポルノ断ちを6週間とかすごすぎる!!それくらいやったら、スーパーパワーがみなぎってくるらしいが、わたしもそれを体感してみたい。本で紹介されていた人はポルノ断ちだけではなく、同時にオナ禁もやったらしいけど、やってみようかな。スーパーパワーを感じてみたい。わくわくする星なのであった。
 また、ゲーリー・ウィルソン『インターネットポルノ中毒』という本には自分自身に負けてポルノを見てしまったとしても、確実にポルノを見ている時間は減っているから(激減していることは事実だから)あきらめないでまた再スタートを切ってポルノ断ちをしてほしい、といったことが書いてあった。ポルノを断っている時間は確実にプラスの効果をその人にもたらしているのである。
 そう考えたら、一時の誘惑に負けてポルノを見てしまったわたしだけれども、再スタートを切れそうな気がしてきた。
 一回ポルノを見てしまったから、もうどうにでもなれ。好き放題ポルノを見てやる。ではなくて、わたしの人生全体というスパンの中においてどれくらいポルノを遠ざけることが出来たのか、といったことがむしろ重要ではないのか。ダイエット中に一回誘惑に負けてハイカロリーなものを食べてしまったとしても、気を取り直してダイエットを継続させれば良い方向へと行くことと同じように、ポルノ断ちも誘惑に負けてからが重要でありそれからが勝負なのだ。つまり、これからにかかっているのである。
 最初は失望感、無力感に包まれていたわたしであったけれど、気持ちを持ち直すことができたようで良かった。ポルノ断ちを続けよう。続けていこう。あきらめないでやっていこう。
 こうしてわたしのポルノ断ちは再スタートしたのであった。頑張るぞー!! 星さん、ファイトーっ!!


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