幸せとは足るを知ること-佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』読了

いろいろエッセイ
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 幸せになるためには何が必要なのか。何をすれば人は幸せになれるのか。この問いに対して多くの先人が取り組んで思索をめぐらしてきた。そして、多くの人々がこの問いについて自分なりの答えを模索しつつ生きていることだろう。
 車を買うこと。マイホームを建てること。本をたくさん読むこと。体を鍛えること。お金を稼ぐこと。裕福になること。
 十人いれば十通りの答えが出てくると思う。人それぞれ、いろいろな答えがあり、それはそれでいいと思う。
 では、わたしの現時点でのこの問いに対する答えを示そうと思う。星さんはクリスチャンなのだから「神を知ることです」とか言うだろうとか思ったかもしれないが違うのだ。え? 違う? 星さんよぉ、お前本当にそれでクリスチャンなのかよ。ごもっとも。クリスチャンの星としては、神を知ることだと言いたい気持ちもある。それももっともで、一番に挙げるべきなのかもしれないが、もっと原理的なことを言いたいのだ。
 幸せになるためには何が必要なのか? 発表です。ずばり、「足るを知ること」です。足るを知ることではないかと今のわたしは思うのである。肩透かしを食らったと思った人、ごめんなさい。でも、わたしは心の底からこう思うのだ。足るを知ること。つまり、満足すること。これにかかっているように思うのである。
 佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』を読んで本当、そう思ったのだ。


 逆に足るを知らない人というのは、どうなるかと言うと、一生渇き続けるのである。自分の中の欲が際限なくこんこんとわき出てとどまるところを知らなくなるのだ。
 欲しいものを手に入れる。それ自体は何ら悪いことでもない。けれども足ることを知らなければ、満足することを知らなければ、どこまでもどこまでも物欲、所有欲はエスカレートしていく。エスカレートするだけならまだいいのかもしれない。けれど、エスカレートしていけばいくほど、より高価なものが欲しくなってくる。高価なものがもっともっと欲しくなってくる。そうなると、何が必要か? お金である。それもたくさんの。で、そのお金はどうやって手に入れる? まさか銀行強盗するわけにもいかない。合法的な手段でお金を手に入れるにはやはり働くしかなくなる。で、働く。それも高価なものを手に入れるためには長時間働かなければならなくなる。となると、自由な時間はどんどんなくなって、仕事に時間を奪われる。結果、自分の物欲や所有欲を満たすために自分の人生である時間をどこまでもどこまでも削っていくことになる。働いて働いてお金を稼いで、そのお金を欲しいものの支払いに当てる。何のためにここまで必死に働いているのだろう。自分の人生の有限な時間をつぎこんで換金しているわけだけれど、本当にこれでいいのだろうか。疑問が生まれる。それで欲しいものを買っているのだからいいじゃないか。本人がそれで納得しているならわたしはそのことに口を挟めない。でも、どこか歪んでいるような、そんな風にわたしは思えてしまうのである。つまり、その人の人生は欲しいものを手に入れるため、買うためにあったことになるのだ。でも、その欲しいもの、手に入れたいと思うものが自分の人生の大半、あるいはほぼ全てを費やすだけの価値があったものなのだろうか。
 別にわたしはマイホームを建てるためにローンを組むな、とか言いたいわけではない。贅沢な暮らしをするな、とか言っているわけでもない。ただ、それで本当にいいのですか?、と問うているだけなのである。それだけのあなたの人生の時間をつぎこむだけの価値がそれにあるのですか?、と問うているに過ぎない。
 欲しいものが無限に近いくらい無尽蔵にある。そして、その欲求をかなえることに人生を捧げてしまう。そこに悲劇をわたしは見るのである。そして、おそらくそんなあなたはどこまで欲しいものを手に入れても持続する幸福感を手に入れることは出来ないだろう。欲しいものを手に入れてもしばらくは嬉しいものの、気持ちがそれから薄れていってまた渇き始めることだろう。どこまで行っても満足できない人生。それが足るを知らない人の場合なのである。
 では、足るを知っている人の場合はどうなのか。足るを知る人は、今手にしているものに満足することができる。もっと欲しい気持ちもあるのだけれど、とりあえず今あるもので満たされる。そして、幸福感は上下動することなく上がったまま安定している。今持っているものとかあるもので満足できるから、欲しいものを手に入れるために長時間働く必要がない。だから、自分の自由な時間を確保することができる。心にゆとりがあり、満たされている。そして、その時間で自分が本当にやりたいことをやる。生活に必要な分はきっちりと働いて稼ぐけれども、欲望の奴隷にはほど遠い。一方の働きづめの足ることを知らない人を横目で眺めながら「大変そうだね」と思う。足るを知らない人が自分の欲望をかなえるためにこしらえた借金に押しつぶされそうになっているのに対して、知る人は自分で借金を膨らませること自体をしないから余裕があるのだ。
 ホセ・ムヒカも次のように言っている。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(同書p8)
 たしかにそうだ。不幸な人があるとすれば、際限なく欲望があってどこまで行っても満足できない人のことだ。
 今日の晩御飯とても美味しかった。「唐突に何の話?」と思われたかもしれないが、足るを知る心でご飯を食べたらとても美味しく感じられたのである。
 わたしたちは気を付けていないと、もっと、もっと!と貪欲になってしまう。そして、どこまでもどこまでも満足することなく渇き続けることになるのだ。でも、ホセ・ムヒカの言葉に教えられた今のわたしは違う。決定的に違う。足るを知ること、つまり満足することが大切だということに気付いたのだ。満足できなければどこまで行っても地獄なのかもしれない。ブランド品を手に入れても、高級フレンチを食べても、豪邸を手に入れても、果ては世界のすべてを手に入れることができたとしても。満足できる人は本当、最強だと思うのだ。多くを必要としないで少しのもので満ち足りる。それってとても幸せなことではないだろうか。(貧困などで困窮するほどの場合はまた問題だが。)
 『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』という本はいい本なのでぜひ一読を。
 聖書には、「いつも喜んでいなさい。」(1テサ5:16)とある。喜ぶためには満足する必要があるのだから、喜んでいる人は足るを知る人である。
 足るを知るかどうか、ここに大きな人生の分岐点があるのではないかと思う。わたしは足るを知る人になっていつもニコニコしていたい。あなたもそんな人になってみたいとは思わないだろうか。ここが重要な重要な分岐点。

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