おもしろい文章を書きたい。それもとびきりおもしろい文章を書きたい。どんな文章を書けばみんながおもしろいって言ってくれるかな。完全にウケ狙いな星である。
そもそも、おもしろさって人それぞれ違うでしょ。ある人にとってはおもしろくても、別の人にとってはおもしろくないことは日常的によくある話だし、などと言い訳なのである。でも、多くの人にとっておもしろい文章というのはあるんじゃないか。まるで、最大公約数的な万人ウケする文章。そういうものがあるなら、そういうものを書いて人々の心をがっちり鷲掴みにしたい。ってそれこそウケ狙いだろ。星、恥を知れ。まったく、もう。
文章を書くときわたしが漠然とだが考えていることは、誰に向かっての文章かということだ。誰に向かって書いているのか。これはとても重要だと思う。てなこと偉そうに言いながらも、自分がおもしろいと思っていることを読み手を限定させずに書いてしまっているところがあるのでわたしは反省した方がいい。もしかしたらだが、ここが三流の文筆家と一流のそれとの違いなのかもしれない。誰に向けて書いているのか。それを明確にすることによって文章がブレなくなるのではないかと思う。
では、わたしは誰に向けて書いているのか。それはわたしのブログの数少ない読者に向けてである。わたしのブログは「クリスチャン星大地」と銘打っているくらいだから、おそらくキリスト教に関心のある人が読んでくれているのだろう。わたしとあなたの共通点。おそらくそれはキリスト教なのではないかと思う。読者の皆様もそうした信仰を絡めた話を期待しているだろう。
つまり、わたしのブログの読者にとってのおもしろい話とはキリスト教的な話ではないかと思うのである。
ということは、キリスト教かつおもしろい話をすればいいことになりそうだ。でも、おもしろいってざっくりしすぎてません? おもしろいって興味深い方のおもしろいですか? それとも、爆笑もののおもしろいですか? てなこと聞いても、いやおもしろいっていうのは両方の要素を含んでいるものなんだよ、とか言われてしまうと返す言葉がない。興味深く、かつウィットに富んでいる。ユーモアにあふれている。いやはや、急に文章に要求されるレベルが上がってきたぞ。それができないからみんな呻りながら文章を書いているわけであって、言うのは簡単だけどそれが難しいのである。もしかしたら難しいどころではなく、キリスト教的エッセイを書く者にとっての最終的な到達点がそこなのかもしれない。それができたらレジェンドなのかもしれないとも思う。
駆け出しのわたしにできそうなこと。深いユーモアなどはまだまだないから、できそうなことと言えば……、って何だろう。おいおい、わたしに何ができるんだよ。「あなたは何ができますか?」という質問が急にわたしを鞭打ち始める。考えたこともなかったな。星には何ができるんだろう。(考え中:10秒)はいはーい。わたしにはつまらない文章を書くことができまーす。って自己肯定感低すぎだろ。気を取り直して、わたしには何ができるか? わたしにできそうなことは初学者なりの素直な視点からものを書くことだ。これは玄人には書けないから意義がある。多くを知ることによって多くを得ているように思いがちだが、また貴重な何かを失っているのだ。初学者としての物言い。なかなかナイスじゃありませんか。それが弱みでありながら、同時に強みでもある。いやはや、おもしろくないっすかぁ? わたしはおもしろいと思うな。
ここまでおもしろさについて考えてきたが、多少なりともおもしろかっただろうか? え? おもしろくない? それは困りましたなぁ。でも、今ここまで読んでくれたということは少しはおもしろかったということだと受け止めてもいいんですよね?
え? 時間を返せ? それはそれは困りましたなぁ。たしかに時は金なりですよ。その金を奪った罪は重い。ってなこと言われると申し訳ない、と自己肯定感の低い星は萎縮してしまうのです。
これに懲りずにまた星の文章読みに来てくださいね。って星全然懲りてない(苦笑)。萎縮してしまう以前の問題。
星に小判。ちょい違う。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。