インド哲学

いろいろエッセイ

「それだけのこと」という言葉をわたしが最近よく使う理由

ふと、わたしが何かの価値を否定する時に「それだけのこと」という言葉をよく使っていることに気付いた。 そう、わたし、よく使ってるよね。この言葉。 この言葉、すごく強烈だなと思う。どんなに人からうらやましがられることをしたり、人として素晴らしい...
いろいろエッセイ

何かになるとか、ならないとかではなくて

わたしは何か、つまり何者かになりたかった。なって、自分はこれができて、この分野の専門家です、みたいなことを言える人になりたかった。となれば、そのためには人よりも秀でていなければならない。そうでなければ、ただの普通の人であってそこで終わってし...
いろいろエッセイ

人生初の花火大会を終えて

40年生きてきたわたしが一度も参加したことがなかったもの。それは花火大会。だから、先日の初参戦はとても思い出深いものとしてわたしの記憶に刻まれている。 街にあるヨガの道場の帰りにふとデパートに寄りたくなった。デパートに寄って浴衣を見てみたい...
インド哲学

モークシャ?

何のために生きているのだろうと思う。ヴェーダーンタはモークシャのためだとはっきりと答える。それは本当なのだろうか? それともフィクションなのだろうか? ヴェーダーンタの本を読み始めてからというもの、何か目の前の景色が色褪せてというか、輝きを...
インド哲学

これでいいのか良くないのか

ほぼ毎朝のようにヨガの道場へ行ってヨガをやる。帰ってきたらお料理をする。空いた時間に読書をする。今は夏だから出掛けたい時にはプールや少しばかりの小旅行をする。母とも特に問題なく楽しく毎日を送れている。 申し分ない。やりたいことをやり、まさに...
いろいろエッセイ

性のあり方は生き方の問題だ

一週間、ほぼ毎日のように街へ行き、道場でヨガをしてくる。そんな日々が続いているわたし。 心身ともに整ってきて、わたしが健康的に、そして魅力的になってきたせいか、すれ違う女性たちが大抵チラリとこちらを見る。自分自身でもまさにリア充のような感じ...
いろいろエッセイ

今年は来るのか?

今年は大丈夫だったけれど来年はどうなるのでしょう? 来年に来るのか、来ないのか? 何の話をしているかと言うと、わたしが死ぬかどうかということだ。何でもわたしは夢のお告げによれば2月の中旬のある日に死ぬらしい。だから、今年のその日にわたしは震...
星のアシュタンガヨガ日記

ヨガはキラキラになるためのもの?

最近、ヨガの師匠と話をした時に、師匠はヨガの先生を養成していたこともあったらしくて、その際に何もヨガをやったことがないのに先生になりたいという人が案外来るらしいということを初めてわたしは知った。何でもヨガの先生のキラキラしたイメージばかりが...
星のアシュタンガヨガ日記

人生に意味はあるか?

先日、ヨガの道場でワークショップが行われた。真面目な練習生のわたしはもちろん参加して、外部から招いた先生の話に耳を傾けた。 わたしはそのワークショップ内でも発言したのだけれど、人生の意味というものは主観的なものだと考えている。わたしはこう思...
いろいろエッセイ

太陽と空気

わたしはほぼ毎朝、始発の列車に乗るために、自宅から駅までの道のりを歩く。冬の間は真っ暗だったのに、今はもう夏のようなものだから日が出るのが早くなって5時頃だというのに、もうお日様が出ている。 そのお日様、太陽を見ながら思ったことがある。それ...
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