ふと、わたしが何かの価値を否定する時に「それだけのこと」という言葉をよく使っていることに気付いた。
そう、わたし、よく使ってるよね。この言葉。
この言葉、すごく強烈だなと思う。どんなに人からうらやましがられることをしたり、人として素晴らしいことをしたり、懸命に懸命に何かを努力して成し遂げても、この「それだけのこと」という言葉が放たれると急に興ざめしたような感じになるから不思議だ。
要するに、すごく冷めているのだろう。それだけと言いのけてしまうのだから冷めている。
難関大学に合格しても、一流企業に入れても、彼女ができても、結婚できても、子どもが生まれても、豊かな老後を送れても、そして最終的にその人が死んでも、何をやってもどうなってもこの一言が台無しにしてしまう。
では逆に「それだけのこと」ではないことはあるのだろうか? それだけとは言い切れないようなそんな素晴らしいことが果たしてあるのか? きっとないのだと思う。何をやってもそれだけでしかなくて、それだけのことでしかない。
何をやっても、どうなろうとも、それは永続することはなくて、花火のように終わってしまう。だとしたら終わりがなくて永続するものならいいのかもしれない。けれど、それすらも「それだけのこと」と言い放って否定することはできる。天国に入ることができても、悟りを得て永遠の静寂を手に入れても「それだけのこと」と切り捨てることはできる。
この言葉を封じ込めるには、始まりも終わりもないものを持ち出すしかない。しかもそれが至福そのものである必要がある。それは無なのか、空なのか、わたしには分からない。けれど、きっと人が本当の意味で最後に求めるのはこういったものなのだと思う。お金でも名誉でも地位でも女でも権力でもなく、永遠に続く安らぎ。決して乱されることも途切れることも終わることもない至福。空間も時間も超越している永遠。そこまで話が進んだらそれを「それだけのこと」と言うのは難しくなる。一応、それすらも否定することはできる。しかし、もうその境地というか状態に対してはいかなる批判や罵詈雑言も意味をなさないはず。
それだけのことではないことをわたしは求めているような気がする。だからこそ、わたしは「それだけのこと」という言葉をよく使うのだと思う。キリスト教とは異なれど永遠を求めている。最後はそこなんだろうな、きっと。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。