100年後にわたしの知らない未来の読者が

いろいろエッセイ
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 わたしの人生はおそらくこのまま行けば平凡に終わりそうだ。
 平凡。決して悪いことではない。過去に多くの人たちが平凡に生き、平凡に暮らして、平凡にこの世を去っていった。
 多くの人たちが何か平凡ではない何かをなそうとして、奮闘しながらも、それでも歴史に名を残すことなく平凡に死んでいった。
 わたしはこの歴史、つまりは人類の歴史に名を残したいのだろうか。この思いが傲慢であることは十分に承知してはいる。けれども、何か平凡に人生を終えることに対して抵抗したい気持ちになってきたのだ。
 何か生きた証を残したい。こうした考え自体がある意味、馬鹿げているのかもしれない。しかし、何か残せるものなら残したい。わたしが死んで骨になって後も残るような何かを。
 わたしが何かを書いたとする。そして、それを何人かの人が読んでくれる。そして、記憶装置の中でもって数十年から百年くらいの年月耐える。
 こういうことを考え始めると芥川龍之介のこの文章が思い出されてくる。

 時時私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待ってゐる事であろう。いや、事によつたらどこかの図書館にたつた一冊残った儘、無残な紙魚の餌となって、文字さへ読めないやうに破れ果ててゐるかも知れない。しかしー
 私はしかしと思ふ。
 しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。(中略)
 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当って、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。
 (芥川龍之介「澄江堂雑記」)

 これは希望である。50年後、100年後に古本屋の片隅に忘れられたようにある自分の本を誰かが読んでくれるのではないか。そして、その人において自分の作品が蜃気楼のように浮かび上がるのではないか。
 これは芥川の名文だと思う。何のために書くのかと徹底的に突き詰めて理由を問うていくと、最終的にはこの次元までおそらく話が進んでいく。わたしはこの芥川の文章にとても共感する。たくさんの人から賞賛されてほめられることも素晴らしく価値のあることだけれども、それ以上に自分の作品を読んでくれるであろう未来の一人の読書のために書く。何てジーンとくる、グッとくる話なのだろう。
 生きた証。わたしの生きた証である作品はおそらく死後数十年くらいしか残らないことだろう。芥川のように後世まで読まれ続ける作品などわたしに書けるわけもない。
 けれど、たとえわたしの執筆したものが一瞬の火花のようなものでしかなかったとしても、たとえ多くの人々に読まれることなく消え去っていくことになるとしても、誰かに影響を与えたことは事実なのである。このブログだったら毎日数十人の人たちが訪問してわたしの決してうまいとは言えない文章を読んでくれている。それでもし一瞬であっても、わたしの文章を読んで心が動かされたとしたら、もうそれだけで万々歳なのである。(もちろん収益はもっと得られたらなぁとは思うのだけれど。)
 わたしは芥川にはなれない。どんなに背伸びをしてもなることはできない。けれど、それでいいと思っている。芥川には芥川の人生があったように、わたしにはわたしの人生があるのだから。芥川には多くのことが見えていた。見えすぎていたと言ってもいいかもしれない。彼とわたしを比べれば、わたしの視野など狭窄しているようなものだろう。でも、それでいいと思っている。芥川には芥川の人生観があり、わたしはわたしのそれがある。今言っていることは、そもそも比べるものではないし、それに比べたところで一体何だという話なのである。わたしはわたしの人生をわたしなりに精一杯生きているではないか。誰かと比較して生き様が無様だとか足りないとか思う必要など最初からない。
 わたしのこのブログの文章を少なくとも100年後にまで残すにはどうしたらいいのだろう。わたしの作品を残すにはどうしたらいいのだろう。
 将来、自費出版でもいいから、自分の本を出したい。そして、100年後の人々に読んでもらいたい。おそらくわたしの文章はつまらないと思われることだろう。でも、それでいい。百年後の未来の一人の読者が「つまらない」と本をぱたりと途中で閉じたとしても上出来である。ただ数行であっても自分の書いた文章から何かを感じてくれたわけだから嬉しいのである。
 わたしの文章が人々の幸せにほんの少しであっても貢献できたら、と思う今日この頃なのであった。


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