疑う。人は確実なものを手に入れるために目の前のものを一つ一つ疑う。
そうして疑っていくと何も残らない。熱心なクリスチャンだった頃のわたしにそのことを尋ねれば「神様とイエスさまです」と即答していただろう。けれど、今のわたしには本当に信じられるものがない。
と言いつつも、目の前に展開されているこの世界についてはある程度信じている。もしこれらも徹底的に疑ってしまったら、疑心暗鬼となり普通に日常生活や社会生活を送ることができないだろう。
わたしの住んでいる家、街、母、猫のルル、ヨガの道場、ヨガの師匠、道場の練習生の皆さん、精神保健福祉士のWさん、街や駅ですれ違う多くの人たち、木々、道、信号、電信柱。とりとめもなく列挙していけばわたしはこういったものの存在を信じている。でも、これは夢なのではないか? そう思った途端にこの世界はガラガラと音を立てるまでもなく消え去って雲散霧消してしまう。
すべてが、この夢ではないかと疑うことのできる空間、時間の中にあるからには、そこで展開される哲学や思想などもこの世界が夢なのであればそれもまた夢でしかない。
わたしは本当に信じることのできる絶対確実なものがほしかった。これは絶対正しい、絶対安全、絶対大丈夫というような何かを。
けれど、この現実だと信じている自分やこの世界が夢幻ではないと証明することはどんなに頑張ってもできそうにないし、そもそも無理な話だ。
だから、最後は無力だけれど何かを信じるしかない。その結果裏切られるのかもしれない。でも、人は何かを信じなければ生きていくことができない。
すべてはまやかしなのか? 夢なのか? 答えは出ない。

変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
