疑う。人は確実なものを手に入れるために目の前のものを一つ一つ疑う。
そうして疑っていくと何も残らない。熱心なクリスチャンだった頃のわたしにそのことを尋ねれば「神様とイエスさまです」と即答していただろう。けれど、今のわたしには本当に信じられるものがない。
と言いつつも、目の前に展開されているこの世界についてはある程度信じている。もしこれらも徹底的に疑ってしまったら、疑心暗鬼となり普通に日常生活や社会生活を送ることができないだろう。
わたしの住んでいる家、街、母、猫のルル、ヨガの道場、ヨガの師匠、道場の練習生の皆さん、精神保健福祉士のWさん、街や駅ですれ違う多くの人たち、木々、道、信号、電信柱。とりとめもなく列挙していけばわたしはこういったものの存在を信じている。でも、これは夢なのではないか? そう思った途端にこの世界はガラガラと音を立てるまでもなく消え去って雲散霧消してしまう。
すべてが、この夢ではないかと疑うことのできる空間、時間の中にあるからには、そこで展開される哲学や思想などもこの世界が夢なのであればそれもまた夢でしかない。
わたしは本当に信じることのできる絶対確実なものがほしかった。これは絶対正しい、絶対安全、絶対大丈夫というような何かを。
けれど、この現実だと信じている自分やこの世界が夢幻ではないと証明することはどんなに頑張ってもできそうにないし、そもそも無理な話だ。
だから、最後は無力だけれど何かを信じるしかない。その結果裏切られるのかもしれない。でも、人は何かを信じなければ生きていくことができない。
すべてはまやかしなのか? 夢なのか? 答えは出ない。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。