元日に能登で地震が起こったらしい。それを最初に母から聞いた。母はスマホを持っていていろいろと情報が入ってくるのだ。が、わたしはテレビも見ていなければ、新聞だってろくに読んでいないし、ネットニュースさえも読まないしで娑婆にいながらももう隠遁生活を送っているような、そんな感じで世の中にうとい。
能登の人たちは今頃大変な思いをされていることだろう。わたしのように自分の家で呑気に昼寝なんかしている場合ではなくて、今も苦しい思いでいる方たちがいる。さらには、もっと目を遠くへ向けて世界へ向けてみれば中東では今も激しい争いが起きている。そんないろいろありまくりなこの世界においてわたしができることって何なのだろうか、とも思ってしまう。80億人もいる人間の1人にしかすぎない、1人でしかないわたしに何ができるんだ、というわけだ。何とかしたいと普通の人なら思うことだろう。それが人としの思いやりであり優しさ。
でも、何だろう。何でだろう。今のわたしはそういった情報に対して過敏に反応していないのだ。たしかに大変なことにはなっている。援助や支援は必要。そのためにはみんなで力を合わせなければならない。そんなことを淡々と思いつつ、もちろんその必要性を感じつつもわたしの心はとても冷静で冷めてさえいて、ほとばしるような燃えるような、そんな熱情はわいてこない。薄情者で非国民的態度だということは分かっている。でも、なぜか燃えたぎるようなそんな熱い思いはわいてこない。
逆に「そんなんじゃダメだ。もっと関心を持って問題に関わろうとしなければダメだ」と誰かがわたしにお説教を始めるのであれば、わたしはその人にこう問いたい。「あなたはそのために何をされているのですか?」と。何もわたしは批判をしたいわけではなくて、冷静にこれらの問題と向き合った方がいいと思うからこう問うわけで、悪意や批判を向けることなどが目的ではない。
その人はわたしに「私は募金もしたし、毎日その動向を真剣に追っているし、常に関心を持ち続けている。だから、あなたも見習ってわたしのようにすべきだ」と言うかもしれない。で、わたしはその人に「募金というのは収入の何%くらいなんですか? 関心を持ち続けているというのは1日24時間のうちのどれくらいにおいてなんですか?」と問うことだろう。そうしたらその人は自分は今回5千円くらいは寄付していて、毎日1時間はこの問題について考えていると答えるかもしれない。たしかにその人は立派だと思う。でも、その人にもっとその問題について熱心な別の人が「それでは足りない。収入の9割くらいは寄付しなさい。それから起きている間はこの問題のことだけをひたすら考えていなさい」とか言ったら「無理です」となるだろうと思う。
世界はみんなが寄付をすれば変わるのかもしれない。けれども、一般庶民でしかないわたしたちから絞り出したところでそれは問題が山火事のように大きすぎて一滴の水にしかならないのかもしれない。でも、その一滴が大河をなして、海をなしているのだと誰かは反論してくるかもしれない。でも、それは何のために? 何を目指してやっているのですか? 人々の幸福のため、幸せのためだということは分かり切っている。でも、その幸せを目指していったところでそれが一体どうだと言うのだろう、何になるのだろう、と考えてしまう。まさにジレンマ。
わたしは人類の幸福という至上命題に、その価値観に楯突いて反旗を翻そうとしているわけではない。ただ問うているのだ。この数十年、もって100年しか生きられないわたしたちが幸せになることに、快適に過ごすことにいかなる意味があるのか、と。なんて自分が安全なところにいて、快適で豊かな生活を送りながら言っているわけだから何も現実に即していないことは分かっている。お腹がいっぱいな人が「お腹がいっぱいになることにいかなる意味があるのか」などと戯言を言っているに等しいだけだからだ。。
わたしは世界を変えるべきなのか。変えようとすべきなのか。それともそんなことは考えないでただ自分の心の平和のことだけを考えていればいいのか。あるいはこの現実は夢でしかないからただこの夢の中で無目的に自堕落に生きていくのがいいのか。いろいろな行き方はある。まぁ、この問題には今も決着がついていなくて人々が対立している。真相はいずこに? 真理はいずこに?
ちなみに最近のわたしは、自分の心の平和を重視する感じになっていて、それプラス周りの身近な人たちを大切にできたらいいな、と考えている感じだ。世界を変えようとするのは素晴らしいかもしれないけれど、自分の周辺を幸せにするだけでも立派な仕事だと思う。もしかしたら大きなことなんかしようとしないで、みんながみんな、自分の周りの人たちを幸せにしようと一生懸命になるだけで、もう世界は変わっていき、問題は解決して、世界中のほぼ全ての人たちが幸せになれるのではないか。そんな妄想ともつかないことを考えたりもする。というか、自分の大切な人すら大切にできないで世界平和だ何だというのは無理があるし、説得力に欠けるように思えてしまうのはわたしだけだろうか。
以上、手短に書いた次第。参考になったら嬉しいです。それではまた。
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変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
