栄養失調からの生還

いろいろエッセイ
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 ここ数日間、どうも体調が優れなかった。何というか、やる気がしなくて、体に力が入らなくて、活力や元気がわいてこない。まるで自分自身が枯れてきているかのような、そんな感じだった。そして、体重はどんどん落ちてきていた。このまま行ったらガリガリになってしまうんじゃないか。そんな懸念さえ抱き始めていた。
 わたしは身長が172cmだからBMIが22として標準体重が65kg。で、今のわたしの体重はと言うと62~63kgの間をさまよっていた感じで標準体重マイナス2、3kgといったところだった。別にガリガリというわけでもない。しかし、体脂肪率が低いのだ。アスリート並みの5%とか、そんなことはもちろんなくて12%。いわゆる細マッチョのような感じなのだけれど、見た感じはかなり細い。棒まではいかないけれど、細木のようなそんな感じ。
 が、そういった細かいデータは置いておくとしてもここ数日間、本当にどうも本調子ではなかった。枯渇、という言葉が、枯れている、という言葉がぴったりなような精神状態。こ、これは菜食にした影響が結果として現れ始めてきたってことなのか? だとしたら菜食をやめてお肉を食べた方がいいのか? そんなことを考えたりもした。しかし、肉食というのは倫理的にもわたしの信条的にも認められることではない。一体どうしたらいいんだ?
 というわけでいろいろ試した。アーユルヴェーダ的な対処法だったり、医学的な意味での血糖値の乱高下が原因なのかと疑ってみたり、できることは試してみた。が、一向にこの不調は解決されない。ということはヴィーガン(完全菜食主義)ゆえの不調なのか? 認めたくないけれどそうなのか? この文章を今読んでくださっている方はやっぱりヴィーガンとかやめておいた方がいいんだな、などと薄々思われ始めたかもしれない。が、原因は結論から言うと、菜食ではなかったのだ。じゃあ、何なの? 教えてよ。焦りなさんな。今教えますから。
 不調に陥ったわたしが最後に(と言ってもあまり試行錯誤はしていないけれど)頼ろうと思ったもの。それは科学的な手法だった。ちゃんと科学的な根拠のある確実性の高い、それらにちゃんと基づいている知識。そういうわけで、以前買ったままほとんど読まずに積ん読していた栄養学の本を開いたのだった。開いたものの、あまり気乗りはしなかった。なぜなら、すべて数字とか計測可能なもので考えようとする現代栄養学の考え方が好きではなかったからだ。アーユルヴェーダのような自分の体と心の声をもとに考えたり決めたりする方がわたしは好きで言うまでもなくそちらの方を信奉していた。が、背に腹は変えられない。何にせよ、わたしにとっては結構ピンチだったのだ。アーユルヴェーダでうまくいかないのだったらもっともベーシックな科学的な方法に帰る。まさに原点回帰なわたしなのだった。
 本を開くと、1日に必要な摂取エネルギーの計算方法が書かれていた。それによるとだいたいわたしの場合、少なく見積もっても2400kcalになる。が、太るのが嫌だったわたしはさらに少なく見積もって2000kcalくらいにしておこうと思った。基礎代謝という何もしていないで安静にしていて消費されるエネルギーが1560kcalだからそれでも活動に400kcalくらい見込んでいることになる。
 それでもこの少なく見積もったエネルギー量で三大栄養素(タンパク質、脂質、炭水化物)をそれぞれ計算してみて驚いた。何に驚いたかと言うと、以前のわたしの食事が明らかに栄養失調だったということに気付かされたからだ。ざっと計算してみた理想の炭水化物の量が何と290g。そ、そ、そんなに摂っていいんですか!? ってこれでも2400kcalをさらに少なく見積もって2000kcalにしているんだぞ。それで290gも? そ、そんなに摂っていいんですか? 以前のわたしは1日に炭水化物を100gも摂っていなかったと思う。果物を少し食べて、大豆プロテインを飲んだり、あるいはお豆腐を食べるくらいで食事を終わりにすることが多かったからだ。しかも、朝はチャイ(インドでよく飲まれるミルクティーでスパイスで紅茶の茶葉を煮出してそれに牛乳と砂糖を加えた飲み物。わたしはヴィーガンで牛乳を飲めないので豆乳に置き換えていた)だけで一食、チャイ断食みたいになっていたから粗食も粗食というか、本当に小食だったのだ。
 栄養バランスとしてはタンパク質は大豆プロテインやお豆腐などである程度しっかり摂れていて、脂質はオリーブオイルを飲んだり、アボカドやナッツ類を食べたりしていたから不足しているようには思えなかった。
 問題はおそらく炭水化物。炭水化物が足りないと思考不良になったり、虚弱になったり、食欲不振になるらしいとその本にはあったのでまさにその羅列されていたことにピンポイントで当てはまった。これは炭水化物不足なんだろうな。きっとそうだ。そうに違いない。
 善は急げでわたしは玄米ご飯を早速、雑穀入りで2合ほど炊いた。そして、食べた。今日はほとんど炭水化物らしい炭水化物は摂っていなかったから(バナナとリンゴくらいしか)体に玄米ご飯がしみわたっていくのを感じる。何ておいしいんだろう。ご飯ってこんなにおいしかったのか、と驚いたのだけれどそれもそのはず。体がいわば飢餓状態になっていたと言ってもいい。わたしの場合、必要な炭水化物が満たされていなかった。摂れていなかったのだ。1日に必要な炭水化物をご飯(食品成分表では「ご飯」ではなくて「めし」と表記されている)だけで摂るとしたら6杯くらいまで食べてもいい。というわけでおいしい玄米雑穀ご飯を3杯も食べたわたし。それでも1日のうちの半分の量にしかならない。
 で、そのご飯を食べたらまるでアンパンマンが新しい顔にでもなったかのように、元気100倍、勇気100倍、それから活力、希望も100倍の星パンマンになったのです。この急変というか、元気のなりようには自分自身本当に驚かされた。そこに母がやってきたので、わたしが元気そうになったどうかと尋ねたら「声からしてさっきまでと違って元気そうになった。それから目も違うよね」とのこと。ひもじい思いをしていてエネルギーが枯れていて元気がない。そんな調子からご飯を3杯食べただけで生還したのだ。
 今回のことを通して得た教訓。それは「ご飯はちゃんと食べましょう」だ。アーユルヴェーダで感じながらそれに従って食事を摂るというのもいいのだけれど、科学的な栄養学的な視点から自分がどれだけの栄養を必要としているのか、その目安を知っておくことは無駄ではないどころかすごく必要なことだ。そのだいたいこれくらいというところを大きく逸脱することは危険なことであって、やはり何らかの障害が発生したり病気になってしまったりしてもおかしくない。自分が1日に何kcalエネルギーが必要でそれを健康的に摂るのだとしたら三大栄養素のタンパク質、脂質、炭水化物をそれぞれ何gずつ摂るのが理想的なのか。そのことだけでも計算は難しくないから知っておくことは意義があることだし必要なこと。そのことを本当にわたしは痛いほど思い知らされたんだ。
 足りていない栄養を補うとまさに復活する。不調が劇的に回復するし、元気や活力もわいてくる。ご飯3杯。たったそれだけのことで見違えるように回復したこの経験を忘れないようにしたいと思う。科学をあてにならないものと見なしていた自分自身を反省したそんな今日の出来事だった。
 科学ならびに現代医学や現代栄養学と伝統医学。その両方を駆使していいところを折衷しつつ最大限活用していけたらなと思う。どちらかに偏りすぎるのではなく、両方を生かし合いながら。なかなか有意義な今回の経験でありました。明日からはご飯を少なくとも1日に4、5杯は食べるぞ~。というわけで危ないところだった星さんなのでした。みんなもちゃんとご飯食べてね(玄米雑穀ご飯がおすすめです!!)。

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