39歳のわたしから無気力な高校生のわたしへの手紙

いろいろエッセイ
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高校生の大地へ

 前略。
 毎日楽しくやっていますか? ってやっているわけないですよね。聞くのも野暮なくらい毎日に嫌気がさしていることと思います。高校生の時、本当に毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。だって、学校の授業はチンプンカンプンで完全に落ちこぼれていたし、かと言って学校をやめようものなら結構有名人にさえなっていたわたしが「学校やめたんだってさ」と噂されかねないからやめることもできない。それで、毎日学校に行きたくないのだけれど、それでも渋々行く。もはや何のために学校へ自分が行くのか、その理由さえ見失っている。だよね?
 毎日学校へ行っていると思いますが、ただ教室に入って分からない理解できない授業をまるで外国人が知らない外国語の中に放り込まれたように聞かされていて、さぞかし苦痛だと思います。やめていいよ。やめても何も差し支えない。高卒の資格なんて今のわたしにとって何の役にも立っていないからやめたっていいよ。むしろ、3年間も無意味だとしか思えない場所に通い続けることの方が気の毒だし、時間の無駄だし、精神衛生上も良くない。
 それに小学校からの親友が一人いると思うけれど、それ以外の高校でできた友達って一人もいないでしょ? 学校ではいつも一人で孤独で、お昼なんて一人でお弁当食べてて、誰もあなたを誘ってなんかくれない。あなたの今行っている高校はそういう薄情な人間の寄せ集めみたいなものだから仕方がないと言えば仕方がないけれど、これって残酷な仕打ちだよね。こんなに同い年の人間がたくさんいるのに、いつも一人。その一人だということはあなたの態度とかが招いている結果だとも言えるけれど、でもあなたに救済の手を差し伸べて「一緒にお昼食べない?」と誘ってくれる人は高校生の時には現れないよ。絶望した? でもこれは未来を知るわたしだからこそ言えることなんだ。
 さて、どうしましょうか? ってどうしたもこうしたも袋小路にはまっているあなたは「どうしようもない。今のままを続けるしかないんだ」と言うことだろうと思う。で、考えたんだけれど、もう世間体とか気にするのをやめて今の高校やめて農業高校とかに編入するっていうのはどう? 今、わたしがあの無益で無意味な時間の浪費でしかなかった高校の3年間を送るのではなくて、農業高校とか行ってたらまた面白い展開になってたんじゃないかって思うんだ。高校生のわたしが普通科のいわゆる進学校をやめていたら、それは今のわたしも変わってしまうことを意味して大変動が起きるんじゃないかとも思っているんだけれど、農業高校っていうのもいいんじゃないかってわたしは思うんだ。自然とふれあって生きた学びをする。それってすごくいいんじゃないかってね。思うわけですよ。少なくとも学校辞めても何も困らない。今のわたしの生活に学歴なんて何も関係していないから。
 今、あなたは学校から帰ってくるとインターネットかテレビゲームかマンガを読むかくらいしかしてないでしょ? これってすごくもったいないと思うんだ。一番、何でも覚えられる若々しい脳味噌があって、豊かな感受性があって、まさに何でも吸収できる多感な時期。この時期にそうしたものに浸かっているなんていうのはもったいないと思うんだ。本を読んだらいいと思う。漫画もいいけれど、活字の本をね。本の広大な世界。世界文学全集とか読破してみたらどうだろう? あるいはあなたは将来クリスチャンになるんだけれど、聖書を読むのだっていい。分厚い聖書を何度も何度も通読するとかっていうのもすごく精神が養われるからやってみてほしい。少なくともテレビゲームやインターネットに入り浸っていてもウサ晴らしにもならない。かえってストレスはたまっていく。そして、知的レベルが決してそれらは高くないし、高くしていってくれるものではない。むしろ、これからいろいろなことを勉強していく上でそれらは足枷になって障害となる。特にテレビゲームはやる必要なんてない。今すぐやめた方がいい。「べき」とか言いたくないけれどやめるべきだとわたしは思う。今わたしが振り返ってみてテレビゲームから得たものなんてほとんど思い出せない。膨大な無駄な時間を使ってしまったな、ということくらいしか思い出せない。
 今、あなたは学校中心の生活をしていて、学校がすべてみたいになっていると思う。でも、学校がすべてではない。教会に行くようになって思うんだけれど、いろいろな場所があって、そうした場所にはその場所にふさわしい人がいるし、集まってくる。だから、学歴主義の人たちの集まりのような今の高校に失望したとしてもそれは当然の成り行きであって、別に気にすることじゃない。ただ、今の場所が自分に合わなかっただけ。だったら自分を学校に合わせようとするんじゃなくて、無理に窮屈な服を着ようとするんじゃなくて、自分に合いそうな場所を探してもいいんじゃないかって思うんだ。もっと言えば、大学受験に失敗しても死ぬわけじゃない。たしかに社会的ステータスは得られなかったということにはなるけれど、だからといって人生が終わるわけでもない。高校で落ちこぼれても、大学受からなくても人生は続いていく。自分が死ぬまで人生は続いていく。だから安心してほしい。大丈夫なんだって。人生の普通というレールから外れたとしてもやっていけるんだって。この世の中には弱者を救済する制度はしっかりとある。障害年金だったり、生活保護だったりいろいろある。だから、少なくともこの日本でのたれ死ぬことはない。お金がないがためにおにぎりが買えなくて餓死するなんてことはまずないし、あってはならない例外的なことなんだから。
 あなたのこれから起こっていく未来をすべてここに書き記すことはとてもたやすい。でも、あえてそれはしないようにしようと思う。ま、未来のお楽しみってことでね。
 最後に一つ。一番伝えたいことを書きます。生きて。何があっても死なないで。その死にたいくらい苦しい時は「『死ぬな』なんて無責任なこと言うなよ」と思うかもしれない。でも、死にたいと思うのははしかみたいな一時的な状態だから、時間が経てば癒されていき「あぁ、生きているって素晴らしいな」って思う時が必ずやってくる。思える時が必ずやってくる。だから、生き抜いてほしい。あと(一つとか言いながら付け加えているけれど)、ヨガとアーユルヴェーダはすごくいい。ぜひやりなさい(命令するのもどうかと思うけどそれくらい良くて素晴らしい)。あなたの人生を劇的に好転させる力がこの2つにはある。だから、これらをぜひやってみて。特にヨガはあなたの心身の不調を癒してくれて、回復へと導いてくれる素晴らしいものになるはず。あとは神様があなたをしかるべき方向へと導いてくださるから教会へ行くようにとかそういうことは言わない。あなたはきっと教会へ行きたくなる。そして、キリスト教を選ぶ。って未来のことをまた漏らしてしまった。お楽しみじゃなかったのかよ、と思ったことだろう。でも、まぁ、これくらいは(いい加減なやつだと思われてるな。確実に)いいんじゃないか。ドラえもんのようにタイムパトロール(ドラえもんに登場してくる時間を警備している警察みたいな感じ?の組織集団。違反者は取り締まって捕まえる)がいるわけでもないし。
 これでだいたい書きたいことは書けました、と。
 あなたの人生は死ぬ瞬間まで続いていく。だから、生きろ。絶望するな。きっといいことはある。あなたに幸いがありますように。

2023年3月23日
39歳の大地より愛を込めて

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