ネットのデメリット

いろいろエッセイ
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 わたし自身、最近特に意識的に自分の体と心の声を聞こうとしているのだけれど、そうすると自分の特徴というか、自分がどういう人なのか見えてくる。そして、自分が何を本当に望んでいるのか、といったことも朧気ながらも見えてくるのだ。
 わたしにはやっていて楽しいことがある。それをやっていると心が浄化されてすがすがしい気持ちになったり、わくわくしたり、求める気持ちが満たされて達成感が得られたりする。その中にパソコンなどのネットが入っているかと言えば、そんなことはなくて、言うまでもなく、これらをやると心が乱されて不調な方向へと傾いていってしまう。
 最近わたしが幸せだなぁって思う時は、以前の記事にも書いたように公園へ行って森林浴をしている時やヨガをやっている時だ。それから大きく差をつけて勉強や読書などの知的な活動ならびに執筆。
 こうしたことを踏まえてわたしはある結論というか、認めざるをえない結論へとたどり着こうとしているのだ。
 ネットやらなくてもいいんじゃないの?
 一言で簡潔に、かつ心の声を素直に表現するとこうなる。では、ネットにはどんなデメリットがあるのだろうか。この記事がブログとして電脳空間上で公開されているから明らかに矛盾していることは自覚している。でも、これを読んでくれた人が何か改めて考えるきっかけを得てくれたらと思って、ここに記そうと思う。

 ネットのデメリット
 ①やる気がなくなる。
 →ネットをやり終えた後、何か消耗しているというか、「これからさぁやるぞ!」みたいな気力がわいてこなくなる。おそらく脳に作用してやる気に関連する神経伝達物質などが乱されるのだろう。
 ②メンタルが低下する。
 →SNSなどで自分よりも幸せそうな他の人を見て、劣等感や自己否定感、ならびに無力感や自責感に襲われる。場合によってはそれが怒りや妬みとして爆発することだってある。それもそのはずで、自分よりも優れている人や恵まれているキラキラした人なんて吐いて捨てるほどいるのだ。上には上がいる。これを克服するにはありとあらゆる分野や属性において世界一にならなければならないだろう。と言いつつも世界一になったところで、過去の偉人や天才たちが大きくそびえ立っているから構造的にも他者との比較をしながらかつ劣等感を持たないことなど無理なこと。自分がすべてにおいて、そして宇宙の歴史の中においてNo.1になるなんて無理なのだ。
 ③足るを知る、ではいられなくなってくる。
 →情報を自分の中に取り入れるということ。それはメリットもあるものの、逆に他の人たちのことを知ることによって、もっともっとという欲望が生まれて、飽くことのない終わることのない欲望に絡め取られるようになる。
 ④お金を使ってしまう。
 →③の結果、いろいろなものが欲しくなってくる。欲望がネットによって刺激されて、あれこれと欲しくなってしまうのだ。一番無駄遣いしない節約する方法って何かと言えば、お店に行かないことなのだ。って言われるまでもないことだろうとは思うけど。見ると欲しくなる。じゃあ、そもそも見ないようにすればいいんじゃないか。大量消費社会においてこういうこと言うのは儲からないけれど、良心的な(?)星さんはあえて言うのだ。わたし自身もネットをやり始めると、ネットショッピングを始めてしまっている。欲望は刺激されて終わることのない消費行動へとつながっていく。だから、お金を使いすぎないという意味でも節ネットは効果ありなのだ。
 ⑤生活がおろそかになる。
 →ネットをダラダラ長時間やっていると起こる弊害。それは生活がいい加減になり、おろそかになってしまうことだ。自分を向上させるためにやろうと思っていたことや、やらなければならないことなどが後回しになってしまうのだ。で、結局やらずじまい、できずじまいになってしまう。つまり、それは生活の質が低下することを意味する。ネットをやっていなければ、その時間でお料理をしたり、家族と団らんしたり、勉強したり、運動したりと有意義に生活の質を高めることができていたのに、ネットに時間を持って行かれたがためにそれらができずじまいになってしまう。で、手抜きのインスタントな貧しい食事をとることになり、家族ともそそくさ余った時間で会話するだけになり、勉強は進まず、体はたるんだままになってしまう。それでいいなら、それでもいいかもしれないけれど、やっぱりそれだと寂しいし心も満たされない。

 ここまでデメリットがありながらもそれでもネットをゼロにするということは難しい。でも、わたしにとって最もいいネットとの付き合い方ができたらと思うのだ。別にネットをやらなくても死ぬことはない。あると便利なお道具箱でしかない。いい付き合い方をわたし自身も模索していきたい。

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