孤高の芸術家の星?

いろいろエッセイ
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 それにつけてもおやつはカール♪ ではなくて、それにつけてもわたしのブログは人気がない。「はぁ」とため息が出てしまう。
 ここ最近のわたしの記事で、自分を励ますようなことを書き続けてきたけれど、やっぱり人気というものが得られるのであればほしいと思ってしまう。
 毎度毎度のわたしの2000文字超の記事。書くのに1時間ちょいかかるんだ。それに比べて、他のブロガーはそんなに記事を書くのに時間をかけない。中には、今日の出来事、近況報告だけしか書かない人さえいる。で、そういう人に限って、わたしのブログの何倍もの読者を得ていて人気がある。
 世の中にはわたしなんかよりも努力していて、かつ報われていない人もいるだろうから、あんまり声高には言えないけれど、それでも努力って必ず報われるとは限らないんだなってつくづく思う。才能のある人がちょちょいと仕上げた仕事の方が評価されることだってよくあることじゃないの。その何倍も努力したものの、一向に報われない人。それは努力の方向が間違っているとか、才能がないからなんだろう、とか好き放題言おうと思えば言える。でも、世間ではあまりこういうことは大きな声では言わないんだ。頑張れば必ず報われる。だから頑張れ、の一点張りでね。もちろん、星のブログ記事なんて毎日書いたとしても、せいぜい毎日1時間の努力。こんなもんじゃなくて、毎日多くの時間を割いて心血注いで何かをやっているのに結果がついてこない人、いるんじゃないかな。はっきり言って、どんな世界でも成功した人にしかスポットライトが当たらない。頂点をつかんだその成功者、勝者だけにしか勝利インタビューは許されないんだ。でも、そのチャンピオンを頂点とした時に、そのピラミッドの下には名もない多くの人の群れがいる。えてして、そうした人々は黙殺されがちだ。チャンピオンが勝利インタビューを受けるのを横目に己の力が及ばなかったことを痛感する。
 わたしのブログは人気がない。まさに細々とさえしていて、閑古鳥も同然。記事の中でいいこと言えてると思うのになぁ。結構冴えてると思うんだけどなぁ。やっぱり、独りよがりなのかなぁ。方向性が間違っているのかなぁ。などといろいろ思いをめぐらせてはいる。
 でも、単に人気が出さえすればそれでいいのだろうか、という疑問も一方ではわいてくる。
 わたしの現状を陶器職人にたとえるなら、わたしは文章という壺を作っているんだ。その壺、自分では結構いい感じにできたと思っている。けれど、ほとんど誰からも見向きもされない。多くの人々からわたしの壺は価値あるものとは見なされず、素通りされている。となれば、考えられるのは壺のクオリティー自体が独りよがりで低いのか、あるいは大衆ウケする壺でないのか、のうちのどちらかということになる。そう考えると、わたし自身、壺のクオリティーが低いとは考えにくいから(いや、そういうのが分からないのが致命的なのだろうか?)、やはり人々の求めるものを提供できていないのだろうか。
 人々から必要とされる。人々から認められる。人々から価値ある存在だと思われる。それも良く言えば商品価値があるということで、悪く言えば単に大衆ウケしているだけ。
 ここでわたしには二つの道のどちらを行くかという選択肢が出てきた。一つの道は人々から認められようがどうだろうがそんなことは気にせずに己の道を突き進む。とにかく自分が作りたい壺を探究していく。もう一つの道は人々に気に入られて必要とされるようなニーズに合致したものを目指していく。自分が作りたい壺ではなくて、受け入れられる壺を目指していく。
 この両極端な二つの道のどこあたりでやっていくか、というのが今後のわたしのテーマのような気がしてきたのだ。この二つの道はどちらか二者択一といったものではなくて、どの程度の案配でその方向性で行くのか、といったところだろうと思う。だから、半々くらいで行くというのも一つの道だろうし、いや、片方にやや傾くくらいがいい、という案配もある。
 こう考えていくと、世の中には人々からは評価されていないけれど、あるいは酷評されているけれど、優れたものって少なからずありそうだ。
 とここまで書いてきて、わたしの方向性が見えてきた。孤高の陶器職人(文筆家)と呼ばれてもいいから、ひたすら自分が納得できるような壺(文章)を目指して精進していけたらと思えてきたのだ。そうなれば、人々からの賞賛は得られないかもしれない。いや、賞賛とは無縁な芸術活動になる可能性のほうが断然高い。でも、いいのだ。日々細々と暮らしていくだけの糧はあるのだから、文筆はそれにプラスするオプションみたいなものであればいい。で、やっていって、生計が得られるようになったら万々歳。得られなくともそれはそれで文筆自体は続けられているのだから、それも良し。社会的に成功してもしなくても、自分が書きたいものをどこまでも追究していくことができればそれでいいのだ。何も万人にウケようと迎合する必要はない。うーん、まさに芸術の茨の道。孤高の文筆家の星と呼ばれたら(呼ばれさえしなくとも)それで良し。
 今日もいい壺(文章)作っていくぞ~!!

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