野心とか成功ねぇ

いろいろエッセイ
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 昔のわたしは社会的に成功してビッグになりたいものだと思っていた。大学受験をするなら難関大学へと合格してステータスの高いサクセスロードを歩む。もうそうなったら人生はとにかく最高で絶好調なんだ、と。その夢が破れてからも作家になって一発特大ホームランを打ってやる。売れっ子のビッグな作家になってたくさんのお金を稼いで裕福な楽しい生活を送るんだ、と現実的ではないことを考えて鼻息を荒くしていた。
 でも、何かもうそういうことがどうでも良くなってしまった。「しまった」と書くと否定的な感じがするけれど、否定的な意味合いはなくてむしろいい意味なので。ってくどいな。
 それはともかくとして、ブログやっても人気ブログにはならず、好きなヨガもとてもではないけれど指導者なんか無理そうだし、なりたいとも思わなくなったし、趣味のお料理も料理人になったりなんかしたらぶっ倒れるだけだろうな、なんてまさにやる気ゼロ。
 そんなわけで野心とか成功とか本当にどうでもいい。どうでもいいということはわたしにとってそれが重要ではないということ。
 じゃあ重要なことって何かと言えば分からないんだなぁ。ヨガの道場へ行って習うのは続けたいし、お料理も読書もやめたくないし、母との暮らしも終わりにしたくないし、とおそらく自分にとって大切だろうということはある。それがきっとわたしにとっての重要なことなんだろう、という気もするけれど、命をかけてでも守りたいものってあるのかしら? 母を守りたい、猫のルルも守りたい、精神保健福祉士のWさんにもできることはしてあげたい、ヨガのお師匠さんにも何か困っていてわたしに手助けできることがあったら何か力を貸してあげたい。そんな思いはあるものの、自分が身代わりになって死んでまでしてそれができるかどうかというと正直自信がなくてためらってしまう。
 なんてちょっと弱気なことを言ってしまった。けれど、少なくとも自分の成功や野心などのために死んでもかまわない、などとは到底わたしには思えない。
 ヨガをやってきてもう成功とか野心とかいいやって思えた。束の間の繁栄とか快楽とかおいしい思いとか別にいい。お金があった方がもちろん都会的な楽しみは味わえるけれどそれだって別に必要かどうかと言えばそこまでして、なければならないものでもない。
「どんな生き方も等価です。優劣も上下も貴賤もありません。ただそれに対して好き嫌いがあるだけです。優劣、上下、貴賤も誰かにとってのそれらでしかありません」。今のわたしはそんな風に思う。
 誰かが成功や野心に価値があり意味があると思う。それらを素晴らしいと思っている。だったらそれと同じようにそれらに価値を認めず、意味などないと思う人がいてもいい。
 ただ金の力がこの世界で強大すぎて、力を利かせすぎているから、そうは言ってもなかなかこれを乗り越えるのは難しいことではあるのだけれど。そういう意味ではある作家が言ったように猫はすごいのかもしれない。どんなに札束を目の前にちらつかせても足蹴にして見向きもしないのだから。
 お金があれば何でもできるような気がするし、実際ある程度の問題は解決する。人の心もお金で動かして操ることができるようにさえ思えてしまう。
 そんな世の中だからこそわたしはそれとは違う道を進んでいきたい。お金はほどほどにあればいい。優雅な生活への誘惑はあるけれど別にそうしなくてもいい。たくさんの美女を侍らせなくても、一流シェフの料理を食べなくても、豪邸に住まなくても、VIP扱いされなくてもわたしは十分にやっていけるし、それでいいと思っている。むしろそれらが華やかで素晴らしければ素晴らしいほど失うことが怖くなる。いつハイクラスなこの生活から転落するか、と不安で仕方がなくなるからだ。
 お金はいわば荷物だ。なさすぎても生きていくことは難しいけれど、ありすぎても重くて重くて仕方がないはず。少なくともお金がたくさんありすぎれば身軽に軽快に動けなくなる。そのお金を守るために厳重なセキュリティーを敷かなければならない上に、何よりもその持ち主である自分に何かあっては困るから身辺も厳重に固めなければならない。
 またお金をたくさん持っているとそれを奪おうとする悪い人の標的になる。隙あらばその人の家族は誘拐されてしまうだろうし、その人だって四六時中命を狙われているようなものだ。
 それを思えばわたしのこの身軽さは素晴らしい。社会的な立場上の責任や職責なんて無職だからないし、お金もないから普通に電車にも乗れるし、街を一人でブラブラすることだってできる。コンビニでHな週刊誌の立ち読みだって気兼ねなくできるし、とまさに自由。
 野心や成功のために死ぬような思いで人生を生きるのもそれはそれで構わない。でも、きっとそれは本当の意味での平安だったり幸せはもたらしてくれないと思う。だって終わりがないでしょ? どこまでやっても、どこまで達成しても終わりなどありはしない。もっともっとといつまで経ってもきっと満たされることはない。
 そういう脂ぎった感じのある程度成功している人たちがわたしのような社会的底辺にいる人をかわいそうとか気の毒に思うように、わたしも彼らを同じようにかわいそうだと思っている、なんて言ったら罵られるだろうな。その人の抱えている荷物が重くて重くて大変だろうなって思うから。たくさんのものを手に入れても手に入れても満足できない人こそ本当の意味で貧しいのは言うまでもない。
 と言いながらも、ヨガの道場の最寄り駅にある割合高級な感じのお高いパン屋さんのパン、最高においしいんだよなぁ。1個200円くらいするんだけど、メチャクチャうまいんだよなぁ。ってこの文章のいい話を最後の最後でぶち壊しておりますわたくしですが、まぁ矛盾を含んでいるのが人間ですのであまりツッコまないように。でも、たまにはいいんじゃないの、少し贅沢をしても。野心とか成功にかかりっきりにならなくても、たまになら200円のパンは十分買えるんだからさ。このパンが1個200万円とかしないで良かったぁ!! ってちょっとずれてません? 何とかなるから大丈夫(意味不明)。

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