どうでもいいことが増えてきて

いろいろエッセイヨガ
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 始まりましたね、オリンピック。競技の中継が夜中になって睡眠不足で眠くて、眠くて。なんてことないのでご安心を。わたし、オリンピックが始まったというのに何も見ていない(マジですよ)。開会式すら見ていなくて、我が家のテレビは置物と化している。
 ヨガをやるようになって、それも本格的に気合いを入れてやるになってから変わったことがあるとしたら、それは自分にとってどうでもいいことが増えたということだろう。
 どうでもいいなんて言うと、「お前無責任だよ」なんて言われてしまいそうだけれど、「自分にとってこれはどうでもいいことだな」と線を引けるようになったということ。
 昔のわたしは何でもかんでも手当たり次第にやっていた。読書にしてもいろいろな分野にチャレンジしてそれはそれは知識欲に燃えていて向学心があった。新聞をひたすら読んで視野を広くしようとしていた時期さえあったくらいなのだ。
 でも、今のわたしは別にそういうことしなくてもいいかなぁって思っている。一人でいろんなことを知っていて、いろんなことができるというのも魅力的ではあるけれど、全部一人で抱え込まなくても人はたくさんいるのだから分業でいいんじゃないのと思うのだ。ただわたしはわたしで自分がやりたいことや興味があることを学ぶ。人生は短いのだから食わず嫌いしてもそれでも時間は足りない。
 偏った人間でいいのだと思う。そもそも偏りのない人なんていないのだし、皆多かれ少なかれ偏っている。オールラウンダーが悪いと言うつもりはないものの、何でも満遍なくそつなく知っていてできる、というのはつまらないようにわたしには思えてしまう。
 どうでもいいことが増えてきたというのは、より自分を何かに特化させるようになってきたということ。どうでもいいことが増えれば増えるだけ、それをやっている時間が浮くから自分のやりたいことにその分、集中して取り組むことができる。興味のないことや面白くないことに人生を使うのはもったいない。どうでもいいことに人生を捧げることほど空しいことはないと思う。
 わたしはどうでもいいことではなくて、どうでもよくないこと、つまり自分にとって大切な譲れないことのために人生の多くを捧げたい。そんな感じでいいんじゃないですか。別に誰かにほめてもらうためだけにわたしの人生があるわけではないからね。

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