何でもやり過ぎは良くない。「過ぎたるは及ばざるが如し」の通りで何でもやり過ぎは人を病にしてしまう。
気持ちがいいからとセックスばかりしていれば精力は枯れ果てて干からびてしまい、おそらく長生きすることはできない。また、美味しいからと大量にお肉やスイーツや清涼飲料水や美食をひたすら続けたりすれば、内科的な病気になって健康を害する。はたまた、健康にいいと言われている運動でさえやり過ぎれば体が故障したり、活性酸素が多くなりすぎてこれまた寿命が縮まってしまう。
何事もほどほどがいいとみんな分かってはいるものの、なかなか適量というか、程良い按配でやめることができない。
こうした快楽のような気持ちがいいことは、人生を生きていく上でいい刺激となってくれるものだ。食欲や性欲などにおける楽しみを徹底的に排除した生活はきっと人生の質を下げてしまって物足りなさを感じさせることだろう。
と、今ふと気が付いたのは、この人生において心臓が拍動する回数が決まっているように(つまり、ある決まった回数拍動すると死ぬらしいのだと言われている)、快楽の総量も実は決まっているのではないかということだ。これはわたしの持論であって確証はないのだけれど、快楽を味わえば味わうほど寿命はもしかしたら短くなっていくんじゃないかなぁ。だから、普段粗食であまり美味しい物を食べず、性の営みもたまにあるくらいで、何かをガツガツと求めたりしない。そんな快楽を貪らなかった人が結果的に長生きするのではないか。ごもっとも?

変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
