わたしの机の上には一個の石がある。今日、ヨガの帰りに海で拾ってきたんだ。
石を見ていると、何だかこの世の喧噪から別世界へと解き放たれるようだ。
石の周囲に静かな静かなエネルギーが漂っている。エネルギーというよりも空気が。
わたしはブログの記事を書いているわけだけれど、今、一生懸命だ。一生懸命に文章を紡いでいる。だから、少しセカセカしている。カリカリまではいかないものの、ちょっぴりセカセカ。そんなわたしをこの石は静かに見守ってくれている。
この石は石としてどれほど長い時間を過ごしてきたのだろう? それはそれは長い時間だと思う。40歳のわたしを前にしてこの石の年齢はそんなものではない。もっともっと年上。人類が誕生した頃にはもうこの石はこの世界にいたのだろうか? 石のことにあまりにも無知なわたしはそんなとりとめのない想像をする。どこから来たのだろう? いつから石をやっているのだろう? 石になる前は一体、どんな姿だったのか?
まさに悠久の時の流れを経てきたこの石を前にして、わたしもまだ40歳でありながらもこの石と同じようにわたしの中を悠久の時が流れている。わたしもこの石も宇宙の星くずから出来ているのだから。
石には静かな説得力がある。ただそこにいるだけで何物も寄せ付けない、流行り廃りなどとは隔絶した存在感がある。
今、この石は何を思っていて、どんな心持ちでいるのだろう? お釈迦様のような柔和な微笑。そんな穏やかな静けさをわたしは感じる。

80年代前半に静岡で生を受ける。
自称エッセイスト。
吾輩はエッセイストである。収入はまだない。
ほぼ毎日、ヨガの道場へ通ってヨガをやっている真面目そうに見える人。
エロコンテンツがやめられないと未だに悩んでいる人でもある。
この調子だとたぶん今世で悟るのは無理。
また、何気にクリスチャンでもある。
それから時々、どもる。吃音なので。
ブログに閑古鳥が鳴いて久しい。
有名になりたいけれど、なりたくない。
成功したいけれど、成功したくない。
ぶれている。
最近、歳が近い知人に子どもが生まれた。
その人のためではなくて、自分のために積み木をひそかに買った。
まだやっていない。やろうと思っているところ。
積み木遊びを始めようとしているアラフォー男子。
年齢制限が1歳以上なので条件は満たしている。
じきに哺乳びんデビューするかもしれない。
冗談はそれくらいにしておけ。
みんな引くから。
空気を読みましょう。