人生にははっきりとした答えがある。真理がちゃんとある。だといいのだけれど、もしかしたらないのかもしれない。
こんなことを考えていてもらちが明かない。その人生の答えを正しいと保証してくれる誰かが(人間ではない神様とか)いなければならないし、その人が本当に信用できるかと言えば分からないからだ。
わたしはその答えがキリスト教だと確信して数年前に洗礼を受けた。でも、今となってはその確信は揺らぎ、藪の中だ。
でも、最近思うのは、仏像の仏様のような柔和な笑みを浮かべている精神状態になれたらいいなということ。この仏様の境地が人生の答えなのかどうかは分からないとしても、わたしはそんな感じになりたい。
あの微笑みを見ているとすごく幸せそうだなぁって思う。人に勝とうとか、やっつけようとか、目標を達成しようとか、誰かを妬んでいるとか、誰かを恨んでいるとか、調子が悪いとか、誰かに怒っているとか、悲しいとか、そういったことから自由になれているように見える。でなかったら、あんな穏やかな表情にはならない。
わたしがものすごく高いレベルを目指しているということは分かっている。そんな凡人のわたしが仏様のようになろうだなんて、無理なのかもしれない。
でも、きっといろいろなものを手放していったら、最後には愛だけが残るんだろうな。愛と言うよりは慈悲のような慈しみの心が。そんな姿にわたしはただただ憧れている。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。