人は誰しも、自分のことを分かってほしい、理解してほしいと思う。だから、分かってほしくて気が付くと相手に一生懸命これでもかというくらいに話をしている。
と、以前こんなことがあった。精神科の外来の診察が終わって、薬局で薬を待っていた時のこと。ある女性が薬を受け取ろうと薬剤師と話をしている。その女性は患者のようだ。
が、話が長い。それにしても長い。もうかれこれ15分か20分くらいは経っているだろうか。それでも終わる様子はなくて、まだ話し続けていた。
その間、わたしは待たされていた。かかりつけ薬剤師という制度があって、毎回同じ人に担当してもらっているわたしはその女性とその薬剤師の話が長引いているがために待たされていたのだ。で、結局、薬局側が気を利かせてくれて、別の薬剤師がわたしに応対してくれた。
わたしは思う。自分のことは自分がよく分かっているんじゃないか。だから、何もそこまでして誰かに理解されることを求めなくてもいいのでは、と。
と言いながらも、その女性は苦しかったのだろう。誰かに胸の内の思いを聴いてほしかったのだろう。だったら、カウンセラーとか精神保健福祉士とか、そうした人たちにちゃんと場所と時間を設定してもらって話を聞いてもらえばいい。なんていうわたしは冷たいのだろうか?
分かって、分かってと誰かに依存するのではなくて、適度な距離を相手と取れたらいいなぁってわたしは思うんだ。

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。