アドバイス

いろいろエッセイ
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 誰かがたしかこんなことを言った。批判できないものはない、と。考えてみればたしかにこの世に批判できないものなんてなくて、視点を変えればいくらでもけなすことはできる。
 批判って何のためにするのだろう。批判する人は相手を良くしよう、変えようって思っているんだろうけれど、どんなに批判してこうすべきだと言ったところでその言葉が相手に届かなければまったく意味がない。そもそも、その当の人が聞く耳を持っていないとしたらどんなに声高に叫ぼうとも空しいのだ。
 わたしたちは相手にアドバイスをしたくなる。こうすれば良くなると思って、この点を改善すればきっといい方向に向かうだろうと思ってうずうずしてくる。しかし、相手がそれを受け入れる姿勢が整っていなければ、それって単なる無意味な音声にしかならないよね。ましてや、その人が聞く気がありません。放っておいてください、って言っているのに、その後をしつこく追いかけて壊れたスピーカーみたいにアドバイスを垂れまくる人。どうかしてるよ。アドバイスの押し売り、やめてくださいって言いたくなってくる。
 じゃあ、相手にアドバイスをしたくなったらそうせずに何をしたらいいのだろう。わたしが思うに背中を見せればいいんじゃないかって思うんだ。子は親の背中を見て育つって言うけれど、この場合も背中を見せるんだ。つまり、自分の生き様をそれとなく見せるんだ。何も相手を変えようとか思わなくていい。むしろ変えようとするとそこに抵抗が生まれてしまうのだから、変えようとせずただそっと自分の姿を相手に見せる。その姿が本当に素晴らしかったり、素敵だったり、自分もそうなりたいと思ってもらえたのだとしたら、その時には相手自らがどういう風にしたらあなたのようになれますか、と教えを乞うてくることだろう。そうしたら、こうするといいよ、と思う存分教えを与えればいい。アドバイスすればいい。相手は前のめりになってそれはそれはあなたの話を夢中になって食い入るように聞いてくれることだろう。だから、相手の状況を無視して一方的にアドバイスする人は気が早いのだ。まさに時期早尚でそんな風になされたアドバイスはおそらく受け入れてもらうことは言うまでもなく難しい。アドバイスの押し売りほど見苦しいものはない。わたし自身もついついアドバイスしたくなってしまうので戒めるようにしたいものだと思っているところなんだ。
 それにひどい人ともなると相手を一方的に批判することがアドバイスすることだと誤解している。そんなアドバイス、誰が聞くかよ。もちろん、そのアドバイスする側とされる側の間に堅固な師弟関係があって、もちろん信頼関係もしっかりあって、その厳しさも愛ゆえだと思えるのなら話は別であるが。そういうわけでもなく、あまり相手のことを知らないのにとにかくひたすら批判されたとしたら……、人間やる気をなくすし、その人のいうことに反発するのは必死だよ。けちょんけちょんに言われて、その人の言ったこと聞く気になれるかっていうと普通の人だったらならないと思うけどね。
 もう相手を批判して教育する時代は終わりましたよ。これからはほめて伸ばす時代ですよ。なーんて分かったことを言っている星だけれど、これはわたしの私見ね。
 アドバイスをせずに背中を見せる。自分の生き様を相手に見せる。それが一番いいアドバイスなんじゃないかなっていう気がする。そこから、話は始まっていくんだ。それ抜きにアドバイスしてもきっとうまくいかない。「星さんのようになるにはどうしたらいいですか?」って言われてみたいもんだな(笑)。そして、教えを垂れる星。そんな日が来ることを願いつつ、毎日やれることを地道にぼちぼちやっていきたいものだと思う。

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