結局わたしを含めた多くの大半の人たちというのは、自分の価値があるとかないとか、高いとか低いとかなどとワーワーワーワー言って騒いでいるだけでしかないのだろうか? 価値という観念に踊らされて振り回されている。それで気持ちが上がったり下がったりとひたすらアップダウンを繰り返している。そんな悲しくも愛すべき普通の人たち。
聖者と呼ばれるような人たちというのは承認欲求をどうしているのだろうか? やっぱり有名になってお弟子さんもたくさんできて、彼らから慕われて賞賛されることによって、そうした気持ちをも満たせているのだろうか? いや、中にはそんな承認なんて一切求めなくて一貫しているような聖者もいるのだろうか?
もしかしたらこんな価値があるだないだとワーワーワーワー、ドタバタしているようなそんな日常を卒業すべきなのかもしれない。もっとそんな世間的な承認やら誰かから自分の価値を認めてもらえたとかどうとかいう、このゲームから降りるという選択だってあるはずだ。少なくともこの調子で相互承認ゲームを続けていたら心は静まらず静寂が訪れることはない。いや、人として生きるということは澄ましていることではなくて、ひたすら毎日のドタバタ劇を終わることなく死ぬまで続けることなんだと誰かは言うかもしれない。めくるめくジェットコースターのようなまるで小説や映画やテレビドラマのような、最高だと思ったら直後には最低でどん底にいるような、そんな劇的な毎日こそが人間的な生き方であるのだ、と。
承認されることは確かに気持ちが良くて幸せな体験だと思う。でも承認というのは結局人からの好き嫌いだったり、それを基にした評価でしかないからとても主観的なものであって、その承認が得られたからと言ってその評価が妥当なのかどうかというのは当てにならないと言えば当てにならない。誰かがわたしのことを「いいね」と言う。「素晴らしい」と認めてくれる。でもその一方でわたしに批判的な見方をしている人は決して批判こそすれど肯定的には認めてくれない。社会からの評価にしてもそれは多くの人たちがいいと認めている価値観だったり信念、信条に合致しただけでしかない。だから人からの承認というものは絶対的なものではない。
それでも、価値観や大切なものが近い者同士がつるんで、そしてお互いに承認し合って生きているというのがこの世の中ではあると思う。となれば、承認を与え合うことについて冷めている人たちというのもそれに価値を置かないというあり方が同じということで、お互いに承認し合っているに過ぎないとも言える。
でも、この地球上に人間が自分一人だけしかいないとか、無人島とか森の中へ行ってたった一人になった時にそれでもモチベーションを持って生きることができるのだろうか? 人間関係を捨てて、他者からの承認も一切得られないという状況で人は幸せを感じることができるのか?
いや、そこまで人からの承認を拒絶しなくても、ほどほどに承認を与え合うという生ぬるい徹底しないあり方もある。承認に依存してそれを自分の全てにするとか、反対に承認を全て拒否して孤高の人として生きるといった極端なあり方ではなくて、ほどほどに承認を与え合ってほどほどに生きるようなあり方。
承認が薬とかお菓子のようなものだとしたら、それがないと生きていけなくてそれが自分の全てなのだと依存するのではなく、かと言ってそれを全面的に「そんな物いらない!」とつっぱねるのでもない。「薬を飲むと元気でいられるよ」とか「お菓子もおいしいよね」とほどほどにそれを生活に生かすようなあり方。不徹底と言えば不徹底でどっちつかずと言えばどっちつかずだけれど、そういうあり方もあるのだ。全か無か、0か100かではなくて、ほどほどに中庸を楽しむ。それだって立派な生き方ではないかと思う。
人より傑出して優れて秀でているためには人と同じことをしていてはダメだということはもっともなこと。でも果たしてどこまでも高みを目指していくことが全てかどうかと言えばそうとも言えない。
となれば最終的にはどれくらいのレベルを求めるかということだろう。お菓子を食べることで言えば、糖尿病になろうがそのために寿命を縮めようがそんなことはどうでも良くて、そして見た目がどんなに太ろうが大したことではない。それよりもお菓子を食べている今この瞬間の心地良さや幸福感だけを求めたい。一方、それとは逆に、お菓子を食べることによる束の間の快感ではなく、体を引き締めて美しい身体と安定した心を得たい。自分を研ぎ澄ませてさらなる向上を目指していきたいと考える人もいる。そして、健康を害するのは嫌だけれど、楽しみのためにほどほどにお菓子をたしなむくらいは食べたいという人もいる。
得ると気持ち良くなる承認。生きる活力や元気がわいてくるもの。承認に依存するか、拒否するか、あるいはほどほどに得るか。そのあり方こそ、その人の生き方だということは言うまでもない。
でも、わたしは何だかヨガの人でありたいと思う。実際、ヨガを一生懸命やっているわけだし。だとしたら、承認を拒否する? いえいえ、手放すのです。依存せず執着せず受け流すのです。と書きながらもこれ(この文章のこと)をブログで公開するという明らかな矛盾。やせ我慢してない? 本当は承認が欲しいんじゃないの? ほ、ほ、ほしい。でも、いらない。無理をしている、のかもしれない。なんてね。

変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
