弱者男性か。それってわたしのことじゃん。
それに関連するネットの記事なんかを読んでいたら急に気分が悪くなってきた。
男にはモテる男とモテない男がいる。当たり前のこと。で、モテない男は生涯独身で結婚できなくて、独り寂しく生きていくことになり、最期は孤独死するということらしい。でも、そうだったらそうだったで別にいいんじゃないの? ダメなの?
誰しも幸せになりたいと思うし、それを願っている。けれど、何が何でも幸せにならなければならないなんてことはない。
それに勝ち組のモテる男が必ずしも幸せかどうかと言えば、そんなことは断定できないし、分からない。
モテる男はモテる男でまた苦労があり悩みがあるのだろう。また、どんなに社会的に成功できたとしても、そうなったらそうなったで持てる者がゆえの悩みを持つことになるのだ。
お金がなくて、容姿が悪くて、歳がいっていて、コミュニケーション能力が低くて、空気も読めなくて、それでいてプライドばかりが高くて、気難しくて、女性に高い理想を要求してしまう。たしかにそういう人は生きづらいだろう。女性だって寄ってこないし、モテないだろう。でも、いいんじゃないの? それがその人なんだからさ。
何かこの世の中、モテたりお金があることなんかを礼賛し過ぎなのではないかと思う。ただそれだけのことじゃないですか。
モテれば女性にありつけてたくさんセックスができる。お金があればそのお金の力で美しい魅力的な女性を自分のものにできる。それって本当に価値があることなのだろうか? わたしにはそれがただそれだけのことのようにしか見えない。連日のようにとっかえひっかえのセックスをすることやトロフィーワイフを手に入れることがそんなに素晴らしいことだとは思えない。
毎日のように違う女性とセックスしても、トロフィーワイフを手に入れても、そのことに満足して足るを知ることができなければ幸福にはなれない。
むしろ、そうした外的なものに幸せを感じて求めようとしている限り、それらはいつか失うことになるのだから、束の間の幸福でしかない。歳を取れば身体も衰えてきてセックスができなくなる日がやってくる。トロフィーワイフだって歳を取っていけば容色が衰えてくるし、人間なのだからいつかは死ぬ。
モテる男やお金を持っている男はこの世で色々とおいしい思いができる。それは事実。でも、だからそれが何だと言うのか? 心地良かったり、快適な思いを存分に味わえたところで一体それが何だと言うのか?
お釈迦様が王宮暮らしをしても本当の幸福は得られなかったように、そうしたものは人を本当の意味では幸せにすることができないのではないか?
わたしは弱者男性という言葉に踊らされてしまったけれど、本当の意味で弱いのは案外、勝ち組の男性なのではないかと思う。自分の力で何でも思い通りになると思ってしまっている男こそが弱いのだ、きっと。
本当に強い男は、自分がこれだけすごいんだと自慢しない。ただ柔和で優しい微笑みをたたえている。そして、むしろ自分のことを差し置いても困っている人を助けようとする。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のような男こそ本当の意味で強いのではないか。
目が覚めた。いいじゃん。別にモテなくても。我が道を進んでいこうと思う。

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。