今幸せになれない人はいつまで経っても幸せにはなれない

いろいろエッセイ
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 何だか今日は気分が重めで調子が悪かった。そして、そんな時に限って見なくてもいいもの、読まなくてもいいものを読んでしまう。
 あるサイトにこんな記事があった。その記事によれば、何でもある女性が結婚できないんだ、と。その女性は年収が700万円の男性でいいから結婚したいものの相手が見つからないのだと嘆いているらしいのだ。
 それを読んで、急にわたしは自分がとんでもなく不幸な男のように思えてきてしまった。年収700万円と言えば、今のわたしの障害年金の9年分くらいの額で、そんな大金を稼げるだけの人で妥協します、という話にものすごい劣等感を感じたのだ。もちろん、その女性にとっては年収100万円以下の男性というのは考えるまでもなく門前払いだろう。「どうやって暮らしているんですか? そんな少ない額で。かわいそう」と同情されてしまうのがオチなくらいだと思う。
 そんなわけで調子がただでさえあまり良くないのに、それにさらに加えて殴られた感じになってしまったわたしは手当をすべく、薬になるような本を本能的に選び取った。それはミニマリズムの本で、その本にとても素晴らしいことが書いてあって救われるような思いがした。それがどんな言葉だったかと言うと、「今幸せになれない人はいつまで経っても幸せになれない」という金言で、まさにこれ以上の言葉はないとさえ、わたしには思えたほどだった。
 今幸せになれない人。つまり、今幸せを感じられない人はおそらく明日も明後日も一週間後もそれから先もどんなに遠くの未来においても幸せを感じることができない、ということなのだ。この見方ってすごく鋭いなって思う。今、幸せだなぁ、生きていて楽しいなぁと思えなければ、つまり足るを知って幸せだと思えなければ、これから先も幸福感を感じることはできないのだ。
 人はえてして、何かをやれば、何かを達成すれば幸せになれると思いがちだと思う。でも、たしかにそうした何かをやればとか達成すればとかいうこともあるものの、それよりもシンプルに考えるのであれば、ともかく今、そう、今のこの瞬間を幸せだと思うことが、思えることが幸せな人だということ。そして、今幸せだと感じることができて、それが長く続いている人の人生が要するに幸せな人生ってことなんでしょ、って思う。幸せ、幸福、幸せな人生。どれもすべて今感じるものなのであって、とにかく今ここでこの今というこの時に感じられなければ永遠に幸せにはなれない。
 何かを達成した時というのは嬉しいものだけれど、その喜びって持続しますか、と聞かれれば持続はしない。続いてはいかない。何かの競技で優勝してチャンピオンになるのは嬉しい経験ではある。しかし、その喜びって5年とか10年も続かない。続くはずがない。言ってみれば、もって数時間から数日の喜びであって、その喜びでさえも慣れてしまって、そして当たり前になって消えていく。まるでそれはパーティーで祝福する時に使うクラッカーのようなもので「おめでとう」とパ~ンと放たれて、その余韻がしばらく続いて終わりのような、そう、打ち上げ花火のような、そんな儚いものなんだ。
 冒頭のある女性はわたしが思うにはとてもかわいそうな人じゃないかなぁ。だって本当は700万円以上稼げる男性がいいのに(本当だったら年収3000万円クラスとかそれ以上がいいと思っているはず)妥協してわたしは700万円の人でいいです、って言っている時点で底の浅さがすべて丸見えになってしまっているのだから。何て言うか、この女性はきっと人生というものにいつまで経っても満足できないことだろう。仮に年収700万円の人でいい人が見つかって結婚できたとしても、もっといい条件の人(もっとイケメンで高収入の人)が現れればその700万円の男は捨てるだろうし、そもそもそういう基準でしか男性を判断できないところが底が浅いのではないかと思えてしまう。結婚ってお金とするものなんですか? しかし、そうは言ってもわたしのように年収100万円以下で仕事もせず定職に就いていなくて、ともなれば、将来どうやってやっていくのっていう話になってくることは避けられないだろう。で、わたしの個人的なこんな人と結婚したいっていう理想の女性像としては、「生活保護でも何でもどんな境遇になってもいいから、そんなことよりもとにかくあなたと一緒にいたい。あなたと一緒に生きていきたい」って言ってくれる人なんだ。お金があるとかないとか、仕事をしているとかしていないとか、そういったことではなくてわたしの人間性だったり人柄だったり価値観だったり、そういったことに価値を見出してくれて一緒にやっていきたいって言ってくれる人なんだ。あぁ、自分で理想の女性像を語っていたらすごく胸が熱くなってきた。そうか、わたしはこんな人をパートナーに選びたいんだな。
 冒頭の女性とわたしの理想の女性の決定的に違うところは、相手に心底惚れているかどうかといったことはもちろん、今幸せを感じていることができているかどうか、ということだと思う。わたしの理想の女性はもうすでにわたしといるだけで幸せを感じることができているだろう。だって、結婚相手を選ぶ基準がお金ではないのだから。お金ってね、もっともっとってなってしまうと思うんですよ。でも、まぁ、お金と結婚するのであればそういう生き方もあるだろうから何もそれをわたしは否定はしない。ただ、わたしがそういうのが嫌だというだけの話であって。
 それに、お金があれば幸せになれるかと言えば、あってもなくても今幸せを感じることができるかどうかというそのこと次第だと思う。わたしたちはとにかく今という時間しか生きることができない。過去も未来も結局今なわけであって、とりもなおさず今なんだ。だから、どこか遠い外国のリゾート地に行ってバカンスをしたりしなくても、何千万円もするフェラーリを乗り回さなくても、タワーマンションの最上階に住まなくても、そう、簡単なことなんだ。今、たった今、この今において幸せだなぁと感じる。ただそれだけなんだ。どんなに遠くへ出掛けても、未知の体験をしても、何をやっても必ず24時間365日わたしはそこにいて、必ずついてきている。わたしがそこにいない、なんてことはない。だから、どこへ行こうが何をしようが、今この瞬間を味わって幸福感を感じられなければ残念な感じになってしまうんだ。残念な人生というものがあるのだとしたら、そういう人生を言うのだと思う。
 そういうわけでわたしは一つの真実にたどり着いた。いわばシンプルな一つの真実に。今幸せを感じる。そのことだけ、そのことだけできれば、それでいいんじゃないか(もちろん不正な手段でそれを感じたり、自他を傷付けるのはダメだけれど)、と。そして、その時間が人生において長ければ、それこそが幸せな、幸福な人生であり生涯なのだということに気付いた。何を得るかということもあるものの、それ以上にその得たものがささやかなものであっても喜んで嬉しいと思えること。さらには感謝できて穏やかな気持ちでいられること。それこそが幸せの極意なのだと気付いたのだ。
 とは言ってもお金がなさすぎたり、人間関係が劣悪すぎたり、最低限の衣食住を満たすことができなければ、人は苦しくなってくる。でも、そういった基本的な欲求を満たすことさえできれば、あとは本人が幸せを感じることができるかどうかということ次第ではないかと思う。お金があっても、なくても幸せを感じられればそれで十分のような気がする。お金が十倍、百倍、千倍あれば、それだけ幸福感も増していき、そのように(十倍、百倍、千倍に)なるかと言えばそんなことはないようだし、わたしが100円のバナナを食べて感じている幸福感と誰かが何万円もする高級ディナーを食べている時のそれとは大して変わらないのではないかなぁとも思う。高級ディナーが10万円としてそれに100円のバナナの千倍の快感だったり幸福感があるなんてことはおそらくない。金額ではなくて、本人がそれをどのように受け止めてどのように思って感じているか。ただそれだけじゃないかな。
 シンプルな結論にたどり着くことができたわたしはもっと今を味わうようになっていくだろうと思う。今、味わって、今幸せを感じる。幸せというものはとてもシンプルなもののようにも感じる。
 今幸せを感じることができるような人でいたい。あなたも幸せを今感じていってくださいね。今を味わって幸せ感じて生きていきましょう。いいこと書けた(と思う)。以上。



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