星の瞬きと人生の目的

いろいろエッセイ
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 わたしは中高生の頃、声楽家になりたかった。声楽家、つまりはオペラ歌手になりたい。なって、世界三大テノールのルチアーノ・パヴァロッティのように華麗に歌えるようになりたい。
 あれから20年近くの月日が流れた。今のわたしは、と言えば、声楽家はおろか、仕事すらしていない。定職についておらず、無職でぶらぶらこうして何の収入にもならないブログの記事を書き、ほとんど責任というものがないような自由気ままな暮らしをしている。
 これでいいのか、わたし? 良くないと言えば良くないような気がする。が、いいと言えばいいような気もする。どっちなんだ? はっきりせい、ってな感じだけれど、ともかく良心の呵責なのか何なのか、時々、自分が働いていないことについて、そして何者にもなれていないことについて自問自答してしまう時がある。
 というか、そもそも何者かにならなければならないのだろうか? 何者かになって活躍して立派な仕事をしていなければならない。だとしたら、それができていない人はダメだってこと?
 キラキラしている人、トップランナーは輝いている。でも、どんなにこの人生において光り輝こうが、いつかは人は死ぬ。そして、遅かれ早かれ人々の記憶からも消えて忘れ去られる。だとしたら、何のために頑張るのだろう? 一瞬のきらめきのため、なのかもしれない。夜空を見上げて星を見ると、星は光っている。けれど、その星の光は遠い星だと何億年も前の光だったりする。その何億年も前の星の輝きが今ここで見ているわたしの目の網膜に飛び込んでいる。考えてみれば、これってすごく神秘的ですごいことだと思う。すごいことであると同時に、今見ている星はもう今は存在していないのかもしれない。その星からこの地球のわたしのところまで光が届くまでの間にその星は活動を終えているのかもしれないのだ。星の命、星の寿命。
 星の寿命と人間の寿命。それを比べると、そう、人間の命の輝きはまさに束の間。瞬きのようなものでしかなくて、光ったかと思うともう死んでいなくなっているというほど儚いもの。
 なんてことを物思いにふける青年たちはいつの時代にも考えてきたんじゃないかと思う。宇宙の歴史から見た時の自分の命の儚さのようなものに思いを馳せる。そして、じゃあ、わたしは何のために生きるのだろう。生きていったらいいのだろう、と問う。わたしは哲学をせずにキリスト教という反則技に逃げ込んだ。人間の命は有限で儚いものだけれど、魂は永遠なんだ。この永遠の命という観念に20代の荒廃していたわたしがどれほど癒されて励まされたことだろうか。永遠なんだ。死んでも終わりじゃないんだ、と。
 でも、教会から離れてキリスト教から距離を置くようになってみると、こうしたキリスト教で言うところの常識が事実なのかどうか、ということに対して疑いの心が芽生えてきた。だから、一応キリスト教的にはこう考えるというのは知っているし分かっている。でも、確信が持てないんだ。
 と言いつつも、わたしはもうあきらめたらいいんじゃないかと最近思うようになってきた。別に永遠の命が事実であろうがなかろうが、なるようになるのだからそれでいいじゃん。自分ではどうしようもできないことで悩むのは時間の無駄だし、考えるだけ損、損。それよりは楽しいことを考えて、多少刹那的になったとしても人生を楽しんだ方がいいっていう感じ。
 人生に目的があるのか、とか、使命があるのかとかはっきり答えを出せなくても、そして一生かけたところでそれが見つからなかったとしても別にそれでいいじゃんとも思う。目的があろうがなかろうが、使命が分かろうがどうだろうが、ともかく確実なことはこの人生があり、今という時があること。ただそれだけではないだろうか。というか、今、わたしの人生の目的はこれです。使命は何々です、と言える人もそれが本当に合っているのかどうかということは確かめようがない。もしかすると、自分で勝手にそう思い込んでいるだけで実は間違った人生の目的や使命に欺かれているだけなのかもしれない。さらには、わたしの人生の目的、そして使命と言う時のそれらは誰にとっての正解でなければならないのだろうか? 自分にとって、ということであれば、それが妄信だろうが何だろうが自分がこれだと思いさえすればそれが答えだ。でも、それが神様とか天にとっての目的であり使命でなければならないのだとしたら、どうやって確認するのだろう? それを確証してくれる神の声だったり天の声が聞こえさえすればいいのかもしれないけれど、それさえも本当かねぇと胡散臭いと言えば胡散臭い。まぁ、牧師なんかの召命が本当に神様からのものなのか疑わしいと言ってしまえばこれ以上疑わしいものがないのと同じことだ。その人がそう思い込んだだけのことで実は違った、なんてね。
 ともかく何者かになれたある人となれていないもう一人の人がいるとして、だからそれがどうした?、と思えないこともない。何者かになれて活躍できている人はそうではない人よりも圧倒的に数が少ない。だから人々から尊敬されてちやほやされる。でも、だから何? それがどうした? 結局、何者かになれても、なれなくてもそれでいいんじゃないの、ということなんだろうと思う。別にその間に優劣はない。ただ、そう言ってしまうと努力したりして今の地位を掴んだ人たちは面白くないから差別化をはかろうとする。もうすでにお金だったり社会的地位だったり、好きなだけおいしい蜜を吸っているのにそれでもまだ足りないかのように。
 話を最初に戻して、何で頑張るのかということについては究極的な答えはないようにわたしは思う。自分がそれをやらなければならないと思うから、とか、やりたいと思うから、といったありふれた答えが精一杯なところだろう。あるいは、これは神様が命じているから、とか、天からのものだからだ、などと言ったとしてもどうして神様だったり天に従わなければならないんだ?、と逆に切り返すこともできる。なんて言う人はかなり生意気だと思うかもしれないけれど、権威というのはその程度のものでしかないんだ。原理的にはありえないけれど、神様だって不完全な自分の求めるところを人間に命じているだけなのかもしれない。天だってそう。
 神様は正しい。それも完全無欠の正しい存在とされている。でも、正しさというものをどこまでも考えていくと、神様の正しさまでたどり着いてそこからは思考停止になってしまう。それに神様が完全に正しいのだとしたら、人間はまるで自動販売機のように神様に従っていればいいだけのことになる。けれど、従いたくない。どう考えても神様が正しいとは思えない事態だってこの世では現実にあるし、起こっている。そんな時、人間の正しさと神様の正しさがぶつかる。そうなったらどっちが正しいのか? 言うまでもなく神様なのだろう。でも、それは正しいから正しいという正しさでしかない。「神様が正しいという根拠は?」と聞かれれば、「正しいから正しいんだ」としか言えない。それは「間違っているから間違っているんだ」という説得力のない言い方と同じようなものでしかない。
 人生の目的や使命を神様とか天などの自分の外側の絶対的なものに頼らないとするなら、残された選択肢は自分に聞いていくしかない。それが嫌だとすると、不完全な他の人に聞くという方法もあるのだけれど、誰かから「あなたの人生の目的と使命はこれなんだからわたしの教える通りに生きなさい」と言われたとしてそれに従いたいと思うだろうか
? もちろんその人が何かの特別な力を持っていて絶対的な存在とつながることができていて、そこからこうなんだよ、と教えているとしたら話は別だ。でも、それは神様とか天に聞いているのと変わらない。だから、それも同じようなことでしかない。そうではなくて、ただ自分の思いつきや個人的な好みで、「あなたの人生の目的と使命はこれだから」と誰かから言われただけだとしたらこれ以上適当でいいかげんなものはない。少なくともわたしはそれに従うことはまるで嘘くさい教祖様か何かをあつらえてそれに従うようなことと同じだと思うから嫌だと思う。あなたも嫌じゃないですか?
 どんなに神様だったり絶対的な存在があれをせよ、これをせよと迫ってきても最後にそれに従うかどうか、同意するかどうかというのはその人にかかっているし、逆らう自由だってもちろんある。だから、最後は自分で決めるのだ。外部に頼らない道を行こうとするなら、自分自身の内側からの声を聞いてそれに従っていくしかない。それだけ、ただそれだけなのだとわたしは思う。
 わたしの人生を誰かに言わせれば、ぱっとしないまま終わっていく人生なのかもしれない。でも、生きていること。ただそれだけで何かをしたとかしないとか、そういうことではなくて光り輝いているのだ。だから、何をするか、何を成し遂げたか、ではなくて何もしなかったとしてもたしかにここで光っている。生きて光っている。それだけで良しとしようではないか。それじゃあダメ? じゃあどうしろと? 光の強さは人それぞれ違うのだからギラギラ太陽のように光ることができなくても、わずかだけれど、分からないくらいだけれど、かすかであっても光っていればそれでいいじゃないか。みんな光っている。生きることによって命の光を放っている。だから、「もっと強く光れ」とか「もっと明るく光れ」とか言わないでほしい。
 夜空の星の瞬き。そんな瞬きのような存在としてわたしたちは生まれ、成長して、死んでいく。瞬きのようなものなんだから、どっちの星の方がその瞬間において明るく光ったかとか、強く光ったかとかそんなことは大したことではない。ただ、その瞬間確かに光った。ただそれだけで良しとする。いや、良しとしたいんだ。



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