8月2日早朝、森の公園にて

いろいろエッセイ
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 8月2日早朝、森の公園にて記す。

 夜の間雨が降っていたから地面が湿っている。そのせいか土の匂いや木の匂いや落ち葉の匂いなどがいつも以上に感じられる。
 今日も森の公園へ行くと健康意識の高いシニアの人たちが散歩したり走ったりしている。彼らの精神状態は快活でこちらが挨拶をすると気持ち良く返してくれる。それも何だか嬉しい。
 公園に来るまでに、そして来てからもたくさんの人とすれ違う。特に話はしないけれども何だかここはコミュニティのようにも思える。ゆるく、それもかなりゆる~くつながっている同好の志みたいな。
 さっきからオレンジ色のTシャツを来て頭に黄色い手ぬぐいを巻いたおじいさんが一心不乱に公園内を何周も何周も走っている。活性酸素の害を受けてはいないだろうかと少し心配になる。いや、かなり受けているに違いない。でもそれは彼が選択した生き方なのだからわたしが口を挟むことでもないだろう。
 それにしてもセミが鳴いている。残り少ない命の炎を燃やすかのようにこれまた一心不乱に鳴いている。セミは何のために生まれたのだろうとふと考える。夏に大きな声で鳴くため? 自分の子孫を残すため? それとも目的なんて最初からなくてセミとして生きセミとして死ぬ。それだけで十分なのだろうか。それだけで過不足はない、みたいな。わたしも何かを成し遂げようとかそんなことを考えないで、ただ人として生き人として死ねたらそれでいいような気がしてきた。人として生き人として死ぬか。いいコピーというかフレーズが思い付いたものだ。
 それにしてもすがすがしい。空気はおいしいし、この公園には木々が放っているいいエネルギーが漂っている。何だか帰るのがもったいないような惜しい気がする。あと1時間くらいここに座っていたい気分だ。でもお腹がすいてきた。もう時間かな? さっきのおじいさんが息を弾ませながら走っている。大丈夫だろうか。
 と、明らかに他のセミとは違う鳴き声のセミが近くの木に止まったようだ。少し違う異質な声がする、と思ったらまたそれも分からなくなった。そのように刻々と変化して移り変わっていくこの世界。まさにこれは無常を指し示すミニチュアだ。
 今、時刻は7時8分。公園を歩いていた人たちもいなくなって静かになった。さっきのおじいさんは走るのをやめて歩いている。おそらくクールダウンなのだろう。と思ったらまた走り出した。彼はいつまで走るのだろう?
 お腹もすいたし帰ろう。
 と思ったら足下にセミが下りてきた。なぜか地面を歩いている。何がしたいのだろう。かと思ったら至近距離で鳴きだした。これだけ近くでセミの声を聴いたのはこれが初めてだ。あまりの大音量に頭がガンガンする。脳天にガンガン来るようなそんな感じだ。セミはまだ歩いている。何がしたいのだろう。最後まで見届けたいけれどわたしは帰らねばならない。さらばセミよ、さらば森の公園。
 今日も面白かった。発見盛り沢山だった。帰ろう。散歩をした後の朝食はうまいぞ。

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