あなたはキャベツの花を見たことがあるだろうか? 大抵、農家のキャベツ畑はキャベツを収穫するのが目的だから花が咲くまで悠長にそのままにはしておかない。
キャベツのあの真ん中の玉の部分。そこから塔のように茎が出てきて、黄色い美しい花を咲かせる。キャベツもアブラナ科の植物ということで菜の花とすごく似ていて、まぁ菜の花みたいな花が咲くと思ってもらえばいい。
今日、そんないわゆる放置キャベツの前に座ってまったりしていたらモンシロチョウが飛んできた。そして、もうキャベツの玉はないようなものなのに、その塔のような茎についている花だったり、実だったりの近くに卵を産んでいるんだ。
わたしの中ではもうすでに星家恒例の春のモンシロチョウ祭りは終わっているから、別段それら産まれた卵を育てようとも思わない。ただ、モンシロチョウが卵を産んでいくのをぼんやりと眺めていたんだ。
しばらくするともう十分に母親モンシロチョウは仕事が済んだのか、キャベツの花にぴたりと止まって休み始めた。きっと疲れているのだろう。休みたくて仕方がないのだろう。さっきから卵をひたすら産んでいたのだから。母親モンシロチョウは消耗しているようだった。
顔をモンシロチョウに近付けていく。母モンシロは逃げようともしないでそのままでいる。これ以上顔を近付けたらきっと逃げるだろうというくらいのところまでわたしは急接近した。そして、わたしは見た。メガネをしていると小さくなってしまうから、メガネを外して至近距離からモンシロを見る。モンシロチョウの目は薄い薄い水色のような、そんな感じでとてもきれいだなと思った。今までモンシロチョウを飼育して何十匹も見てきたのに、こんなに目をはっきりと見たのは初めてだった。
そして、その目を見ていたら何だか自分もモンシロチョウみたいなものだな、と思えてきた。モンシロチョウの寿命というのは案外短くて10日から14日くらいらしい。そして、死んでいく。メスのモンシロチョウは卵をたくさん産んで生涯を終える。
このモンシロチョウにとっては今が一番人生(虫生?)において最高潮なのだろうと思う。一番、気力、体力共に充実していて、一番自由で一番輝いている。そんな一瞬を同じ空間でわたしは共有している。このモンシロチョウはすぐに死ぬ。そして、また彼女の産んだ卵のうち何匹が大人になれるかどうかは分からないけれど、彼女の遺伝子は子孫へと受け継がれていく。
有限であるということ。限りがあっていつかは死ぬということ。そのことがモンシロチョウの目をを通してわたしに迫ってきて、逆に有限だからこそこの目が美しいのかもしれないな、とも思った。
10日後、遅くとも14日経てばもうこのモンシロチョウはいない。生涯を終えて力尽きて土へと還っていく。
わたしはどこか自分が死なないような気がしていた。今のままがいつまでも続いていって、このままのわたしがいついつまでも続いていく。そんな錯覚。でも違う。いつかは、死ぬんだ。そして、いつか死ぬからこそ今が貴重で尊くて意義があるんだ。
わたしは80歳まであと40年くらい。人生の折り返し地点にようやくたどり着いた。でも、いつ死ぬか分からないという言葉をしっかりと噛みしめるのだとしたら、明日死ぬかもしれないという可能性を突きつけられる。
「あなたは明日死んでもいいですか? もう心残りはないですか?」
そう自分に問いかけるならわたしは何をやり残したのだろう。明日死ぬのだとしたらもうジタバタしても仕方がないと思って、さっぱりあきらめるのかもしれない。意外と往生際が良くて、さっぱりとしているのかもしれない。
明日、死ぬ。明日死ぬとしたら何をやりたいですか、か。もう明日死ぬのだから超大作の長編小説を書くのは無理だし、子どもを持つのも無理だし、そうした長い時間がかかることは無理だ。
と、やっぱり明日死ぬとしたら最後に性的な欲求がやはり疼くような気がする。モンシロチョウが卵を産み続けるのと同じように、わたしもきっと最期の日にはオナゴを求めるに違いない。下世話すぎて何だけれど、最期もやっぱり下世話な感じで終わる。それがわたしの人生なのかもしれない。そして、十分に性的な欲求が満たされたらいつも通りに過ごして、ブログの記事をまるで遺言か何かのようにしたためて永眠となるんだろうなぁ。
まぁ、明日死ぬことはおそらくない。だから、ライフプランという人生計画を平均寿命くらいまで生きるものとして人は立てようとする。あと40年くらい生きられるとしたら何をしたいか、がわたしにとっての大切な問いとなる。
普段ほとんど死を忘れているだけにこの問いはなかなかわたし自身にシビアな問いかけをしてくる。この問いって自分にとって何が本当に必要なことなのかを問うてくるし、今の自分自身へのしっかりとした吟味にもなる。
夢はありますか? 叶えたいことはありますか? あると言えばあるし、ないと言えばない。どうしてもこれだけはやっておきたい、という夢なんてないのかもな。ただあるのはオナゴへの強烈な憧れだけ。って結局スケベなだけじゃん。でも、性的な欲求ってみんな言わないけれど、人生の原動力とか支えとしてしっかりと底から支えているものなんだよ。
モンシロチョウの美しい目の話から結局下世話な話になって終わりそうな今回のこの記事。モンシロチョウを通して後悔しないような生き方をしていきたいな、って強く思わされた6月の下旬の昼時。モンシロチョウのあの美しい目がわたしに問いかけてくる。「あなたは今の生き方でいいのですか?」と。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。