あー、眠い

いろいろエッセイ
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 今日、ある本を読んでいたらすごくいいことがたくさん書いてあって、わたしは赤ボールペンで丹念に線を引きながら感心していた。著者がすごく頭がいいのだ。文章は理路整然としていて、とてもスマートな印象を受けて、きっと知的でダンディーでエリートな人なんだろうなと想像をふくらませていた。
 が、読み終えてからかれこれ1時間ばかり経った頃だろうか。その本の副作用がわたしに現れ始めた。自分がどうしようもないくらいダメな人のように思えてきたんだ。その人は本の中で手間暇を惜しまないいい仕事をする人のことを礼賛していた。そして、いわゆる質の低い「これくらいでいいだろ」的な仕事を批判していた。けれど、わたしはと来たらそのスタートラインにさえも立てていない。もう40にもなるというのに働いた経験すらなく、まったくもってして箸にも棒にもかからない。
 わたしはその本の著者にこう問いたくなってきた。「無職は駄目なんですか?」「学歴も資格もない人間がかろうじてお金を得るための仕事をするのは駄目なんですか?」「あなたの言う質の高い創造性のある仕事はとてもわたしにはできないのですが、それは駄目なんですか?」こう問えば頭のいいその著者は機転のきいた切り返しをしてわたしを説き伏せてやんわりと論破するに違いない。
 わたしは著者に言いたい。すべての問題は能力主義が絡んでいるのではないですか、と。何で頭のいい人は良くない人よりもたくさんお金をもらえていい人生を送ることができるのですか、という至極真っ当な疑問へと集約されるのだ。頭のいいエリートはいいよ。本当おいしい思いをできるんだし、その稼いだお金を元手にまた好きなことを広げていけるんだからさ。
 エレガントでスマートな生き方をしている人を見るとわたしは時折怒りを感じる。
 でも、ふと彼らへ暖かい視線を送るのであればきっと彼らは彼らでまた大変なのだろう。何せ、いつもスマートでいなければならないようなところがあるからだ。スマートでないことをやってはならないようなところがあるだろうからだ。
 と、わたしの思考はここで飛躍する。どうせ、というかどちらにしろ貧しい人も金持ちも死ぬのだ。100年以内には両者とも死ぬのだ。だったらいいんじゃないの、みたいなことは前にも書いたような気がするけれど、死の平等を持ち出してこれを慰めるしか慰める方法はないと思う。どんなに広い家に住み、豊かでやりがいのある仕事をし、人間関係にも恵まれて最高の気分のままこの世を去ったとしても、反対にそれとは真逆の人生を送りこの世を呪いながら死んでいったとしても最期はどちらも死ぬのだ。
 そう考えていくと寂しい気もする。どっちみち死ぬんだからそれまで飲めや歌えややろうってだけみたいで。
 わたしは今まで自分を擁護するような、そして励ますような記事を書いてきたと思う。いわゆる自己正当化だ。自分が間違っていると思いながら、かつそれを続けるというのは普通の人のメンタルでできることではない。必ずどこかで齟齬が生じてうまくいかなくなる。だから、自分を正当化することが必要になってくる。
 でも、もうその必要はないのかもしれない。なぜなら、わたしが仕事をしていない、働いていない、無職だということはただそうなんだというだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもないからだ。ただ事実として星が働いていない。ただそれだけのことだ。だから、雨が降っているとか、りんごは赤いとか、そういった事実を指し示しているに過ぎない。
 あぁ、すべてが一つになっている世界へ行きたい。何もこれは死にたいとかそういうことではなくて、一人ひとり異なっていて差異のある世界ではなくて、他者も世界もありとあらゆるものが一つに溶け合っているような、そんな世界へと行きたい。そして、そこでみんなと一つになって一つの意識体になって全地を遍く覆っていて、そして天地すらもわたしと溶け合って一つとなっている。そこには格差も貧困も能力や身体の違いも、そういったことは何もなくただただ平安がある。
 わたしは疲れているのだろうか。疲れているからそうした安らぎの世界を夢想してしまうのだろうか。
 みんな、わたしのことを賞賛してくれない。認めてくれない。こんなに頑張って生きているのにまだまだとか、全然できていない、みたいなメッセージしかわたしに送ってくれない。いわばダメ出し。お前はダメだからもっと頑張れ、みたいなダメ出し。
 でもね、わたしはわたしなりにこれでも頑張って生きているわけですよ。確かに至らない、世間一般から見たらたるんでいるのかもしれない。でも、これでも毎日やることはたくさんあって、それなりに懸命にやっているんですよ。
 だからわたしはこの世の無職の人々をほめたたえたい。「よくやってるね」って言ってあげたい。わたしを含めた無職の人たちを世間はけなすかもしれない。認めようともしないかもしれない。でも、彼らは彼らなりに懸命に精一杯生きているんだ。頑張れない人には頑張れない理由がしっかりとあって、自分が頑張れないということを気にして、こんな自分を生きながらえさせてもらって申し訳ないと自責の思いでいるんだ。
 新聞を見ればキラキラしている、活躍している人のことしか載っていない(あるいはネガティブな人のこと)。でも、父がもう何十年も前にわたしに言ってくれたことで「みんな普通なんだよ。平凡なんだよ」という言葉があるんだけれど、まさにそうなのかもしれないな。みんな普通なんだ。多くの人が平凡でパッとしないんだ。その中で一握りにもならない人たちが成功を収めている。
 わたしの文筆活動、Googleから見たら何も利用価値も商品価値もないゴミみたいなものでしょう。けれど、よくよく考えてみれば、宇宙の中では(それも全宇宙)人間なんて塵でしかない。
 あー、眠い。話の腰を折って何だけど眠いのです。
 あくびをしながら、何のために生きているのか分からなくなって参りました。って今日のこの文章、まとまりがないなぁ。あっち行って、こっち行ってみたいになってて恐縮であります。今のわたくしには堅固な生きる目的やら意味やらはございません。でも、そもそも人生の目的なんて人間の脳味噌が拵えた観念でしかなくて、そんなものなどないのかもしれません。
 何のため、ではなくて今生きているこの瞬間にとにかく集中していきたい。
 あー、眠い。寝るか。寝よう。それが一番。

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