静岡の今朝は激しい雨風だった。
などと短歌にも俳句にもならない自由俳句ではなくて作文でしたが、そんなことはさて置き、皆様いかが過ごされていますでしょうか?
わたしは、と言いますと進化しつつあります。どんな進化を? どうやら豆腐になってきている、いや正確には近付いているようなのです。
わたしが毎日のように飽きずに食べているもの。それはお豆腐で、本当に飽きることなく、毎日、毎日食べております。
毎日食べるものにはささやかながらこだわりがあるのが一般的なよくある話。わたしはお豆腐についてはこだわりがあります。と、このブログの読者で長いこと読んでくださっている方はあの話を思い出されたことでしょう。それは死にそうだった祖母に何を食べたいかと聞いたら「京都のお豆腐が食べたい」とのことだったので、わざわざ京都のお豆腐をうん千円というお金をかけて取り寄せて食べて、祖母が涙を流して喜んでくれたというお話。その話をここで持ち出してご明察かと思うけれど、何と星家ではお豆腐はそこのお豆腐と決めているのです。な~んてね。言ってみたいけれど、そのお豆腐は常食用としてはいかんせん高い。お財布的にもお豆腐にうん千円も出していたら家計が火の車ですよ。う、うそをついたな? だましたな? 申し訳ありません。でも、だましてしまった時間がたぶん5秒かそこらだったと思いますのでどうかご了承を。堪忍、堪忍。慌てない、慌てない。一休み、一休み。
そういうわけで京都のお豆腐は高級品すぎて普段食べることが難しいとしても、ささやかなこだわりを持たせるようにした。それはスーパーで買っているのだけれど、国産の大豆を使ったお豆腐にしているのだ。だから、結構高いのです。とは言っても牛肉やら豚肉やら食べることを考えれば断然安い。今のお豆腐の相場ってだいたいアメリカ・カナダ産の大豆を使ったお豆腐だと300gで50円くらい。そして、国産の大豆を使ったお豆腐が何と400gで150円。3倍、3倍もの値段の差がある!! というわけでして100gあたりだいたい40円のお豆腐を贅沢に食べております星さん家。でも、それでも牛肉とか豚肉に比べたら断然安いでしょ? 鶏肉はともかくとして、牛、豚と来れば100gあたり100円以上は大抵する。リーズナブルで環境にもやさしく健康的なお豆腐。ぜひとも皆様お豆腐を食べましょう。肉ではなくてお豆腐です。お豆腐がこの地球をそして未来をも救うのです(力説)。
って話がだいぶ脱線いたしました。だっふんだって感じです。話を元に戻しまして、何の話してたんだっけ? 最近物忘れが激しくてね。いかんいかん。
そうそう、冒頭でわたしが豆腐になってきている、近付いてきているという話をしたんでしたよね。ってまたそれも妙な話ですよね。人間が豆腐になるわけなんてないんだから。そうではなくて、肌質が変わってきたらしい。今日、ヨガ教室へと行ってきたんだけれど、ヨガの先生から「星さん、最近肌質変わってきましたよね。菜食は今も続いているんですか?」と言われてしまった、言われてしまった。
どうやら、というか(自分では気付かなかったのだけれど)お肌が白くなってきているらしいのだ。それってお豆腐に近付いてきているってことなんじゃないの?、と思ったわたし。原因はやはりあいつだ。豆腐だ。豆腐のせいで(ってそう言うのもおかしい。「おかげで」の方が適語)白くなってしまった。どうしてくれるんだ、じゃなくて。良かった、良かった。やっとわたくしの菜食も目に見える肉体的な変化が現れてきましたということで万歳万歳なのだ。
帰ってきてから母にそのことを話したら「それは本当のことだと思う。きめが細かくなてきたように見えるけれど」とまたもやまたもや言われてしまった。「だからさぁ、豆腐なんか食べるからこうなってしまったわけ。どう落とし前をつけてくれるだ、アァ?」じゃなくて、それを聞いて何だか嬉しかった。だってそれってお豆腐に近付いているってことなんだよ。そして最終的にはお豆腐になれるんだよ。どうしてそれが嬉しくないの? 豆腐に、あの憧れの白くて透き通ったお豆腐にやっとなれる。今まで人間やってきて本当に良かった。そして、やっともう一踏ん張りであのお豆腐になれる。やったね、星さん。豆腐だよ、豆腐。あの夢にまで見たお豆腐になれるんだよ。お豆腐の神様に感謝しなきゃだめだよ。
って暴走しております。暴走菜食お兄ちゃんとでも呼んでくれまし。菜食のしすぎでお豆腐に取り憑かれてしまった模様。ヘルプ、ヘルプ。菜食の囚われの王子様をその堅固な豆腐の世界から救い出すんだ。
何だか分からなくなってまいりました。ここまで確信犯的にわたしの思想を表明してまいりましたが自分で自分がよく分かりません。わたしはそもそも豆腐になりたいのか。そしてなってどうしたいのか。それが不明なのであります。これは迷宮入りでしょうか。もしかしたら明日にもこのブログのタイトルが「星豆腐のブログ」になっているかもしれません。
って、って、そんなことありませんから、断じてありませんから!! 真面目に受け止めてしまった方、これは作者のファンタジーみたいなものなのです。で、結論。単刀直入な結論。ぼくは大きくなったら豆腐になりたいです。以上。ってこれも嘘。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。