只今の時刻は夜の11時半を少し過ぎたところ。何でこんな時間に書いているかと言うと、これは書かねばと思ったからだ。と言いつつも別に大したことではない。月並みなありふれた体験がとても印象的だった。ただそれだけのこと。
何について書くかと言えば、蚊だ。最近、アヒンサー(非暴力)を偽善まっしぐらのごとく実践し始めたわたしなのだけれど、部屋に蚊がいたのだ。寝よう、寝ようと思っていると顔のところにブ~ン、ブ~ンと電気を消しているからその姿は見えないものの、まるで眠りを妨害するかのごとくに飛んでくる。以前のわたしだったら、電気をつけて見つけ次第叩き潰すか、それが叶わない場合にはアースノーマッドをつけてこれまた殺していた。が、今は非暴力なので殺せない(笑)。もちろん、お腹をすかせた虎に我が身を捧げるなどといったことは到底できないわたしなのだけれど、それでも蚊に自分の血を吸わせることくらいならできる。少しばかりかゆいだけだし、ま、ボランティア(?)だと思って、てか?
そんなわけで顔のところに飛んできても我慢してそのままわたしはじっとしていた。そうしたら、蚊の羽音がしなくなった。と、突然右手が猛烈にかゆくなり出す。これは何かアレルギーでも起きたのではないか、ってなくらいのかゆみで湿疹とか蕁麻疹か何かだと思ったんだ。電気を点けた。そして、右手を見た。湿疹でも蕁麻疹でもなく(オーバーですな)、明らかに蚊に食われた跡がそこにはあった。三箇所くらい刺されていた。かゆい、かゆい。猛烈にかゆい。今日はなぜかとてもかゆく感じられて、わたしはその刺されたところをしばし掻いていた。
と、枕の上に何かいる。小さな何かだ。それは蚊だった。それもわたしの血を吸った蚊で、お腹を赤く大きくふくらませていた。わたしは優しくつついてみた。おそらくまたどこかへ飛び去っていくことだろう。が、そのわたしの予想に反して、その蚊は1センチか2センチくらいぴょこんと飛ぶだけ。どうやら、というか明らかに血を吸いすぎたのか飛べないらしい。お腹の吸ったばかりの血が重いらしくて飛べないようだったのだ。
わたしの中で一瞬、殺ってしまおうかという物騒な考えが浮かぶ。ここで殺してしまえば今後、血を吸われてかゆい思いをしないで済む。が、それが一瞬浮かんだ後に我に返り、「そうだな、外に逃がしてあげるか」とともかく殺さず、かつわたし自身が刺されないベストな選択肢を思い付いたのだった。
で、捕まえようとしたのだけれど、ぴょんぴょんはねてなかなか捕まえられない。ようやく捕まえると、潰さないように注意しながら玄関まで運んだ。そして、外に出てその蚊をフッと遠くへと吹き捨てた(これって暴力かもしれないな)。
誰もが知っている、あの蚊を殺す時に一瞬ほとばしるどす黒い感情。まるで自分が支配して好きに始末できたんだと言わんばかりのエゴまるだしな感情。そうしたものを今回感じずに済んだ。むしろ殺さないことによってそこには喜びがあった。もちろん、外へ放り出したわけだから優しくないと言ってしまえばそれまでだけれど、殺してしまうよりは比較できないほど優しい対応なはずだ。
って蚊を殺さなかったんだ。非暴力だよ。偉いでしょう? ほめて、ほめて。などと言いたくてこんな文章を書いているわけではない。そうではなくて、血を吸ってお腹をふくらませた蚊を生まれて始めて見たことが新鮮だった。そして、さらに殺さないということがこんなにも人を明るい気持ちにさせるのだということへの驚き。この二点を伝えたかったのだ。わたしは言葉が足りなくてこの感動(心を動かしたらそれは劇的ではなくても感動です)をうまく伝えることができていないかもしれない。でも、この心の揺れ動きを一晩寝てから書くようでは、きっと後で後悔すると思ったんだ。今、一番その体験をしてフレッシュな時に書く。そのことにこそ意味があると思ったんだ。だから、書いたのです。
殺さないことってすごくいいよ。生きていく上では無数の命を殺しているわたしたちだけれど、それでも殺さないで済むのであれば殺さない方がいい。本当、そう思う。
わたしの話ってとってもスケールの小さな話なのかもしれない。京都へ熊を食べに行った話とか、拘置所での生活についての話とか、キリマンジャロに登った話とか、そういった話と比べたら、たかが蚊でしょう? それもただ星さんが一匹蚊を殺さなかっただけの話でしょう? でも、そうしたスケールの大きい話(と思われる)と比べて落ち込まなくてもいい。わたしの体験にもしっかり意味はある。尊い、尊い体験だったじゃないか。それを熊だ、拘置所だ、キリマンジャロだ、何だと比べる必要はない。人生はヨガと同じで人と比べるものではないんだから。人と比べたらヨガではないように、人と比べたらそれはわたしの人生を生きていることにはならない。
さて、わたしの血を吸ってお腹をふくらませた蚊さんは元気にしておりますでしょうか。達者でやってください。そして、卵を産んでほどほどに子孫を残してくださいませ。あんまり子どもがたくさんでもまたわたしが刺されるからね(ってわたしの都合全開ですけど)。
殺すのはたやすい。でも、そこであえて必要のない殺生をしないようにする。むやみに傷付けない。むやみに殺さない。非暴力って本当に深みのある思想だと思う。核心をついているというか、何というか。非暴力をどこまで実践できるか。悟りへの道はここから始まるんだ。
さて、寝るか。またあんまりここでダラダラ書いていると明日起きれないからね。ヨガをやるようになって何か変わってきた星なのでした。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。