休もう

いろいろエッセイ
この記事は約3分で読めます。

 もう夕方の5時。今とても疲れていて、何だかさぁやるぞみたいな気持ちがわいてこない。それもそのはず。ずっとかかりきりだったのだ。何にかと言うともろもろの雑事に、である。
 午前中はお料理に忙しかった。11時くらいから始めて、わさわさ、わさわさ作って出来上がったのが12時15分。で、食べる。と、もう何だかんだで1時になっている。2時からは祖父の施設利用代金を支払いに出掛けるのだ。出掛けました。と、もう4時近くになっている。帰ってきたらもう4時。で、お米がない。買いに行かねば。行きました。それでもうかれこれ4時半。一息つく。で、今に至るわけだ。
 時間っていうのは容赦なく過ぎていくね。何となく時を過ごしていると日々の雑事に忙殺されて、お勉強の時間なんて残らないし、おそらくこんな調子でやっていったら勉強は捗ってはいかない。
 毎日フルタイムでお仕事されている方というのは、きっと自分の時間なんて土日と平日の夜くらいしか持てないんだろうな。わたしは仕事をしていないから時間は無尽蔵にあるわけだけど、こうして予定が入ると途端に自分の時間が取れなくなる。
 で、忙しい。疲れた。休みたい、の3つの言葉ばかりを言うようになって、疲れた時に効く漢方薬とか食べ物なんかを高いお金を出して買う。
 今、気付いたんだけれどわたしはもしかしたら、いやもしかしなくても無理をしていたのかもしれない。本当は疲れていて休みたいくらいだったのに、疲れを押して活動してしまっていたのかもしれない。
 目を閉じる。そして、自分の体と心の声を聞いてみる。はっきり言って、今のわたしは自分の内なる声が聞こえなくなっている。が、それでも何とか聞こうとしてみる。ぼんやりだけれど聞こえてきた。「もう今日は8時頃には寝てちょうだい」という声が聞こえる。目を閉じると体が鉛のように重くなっているのがよく分かる。疲れでどよ~んとしているのだ。
 今日もわたしはよく頑張った。まだここまでで書いた文字数が800くらいしかいっていないから読者の皆様は読み足りないかもしれない。
 目がしぱしぱしている。目が少しかゆいような気もする。体がだら~んとだるくて重い。気持ちもどんよりとしている。頑張ろうっていう気が起きない。「幸せですか?」と聞かれたら「ちょっと今疲れてまして」って答えるだろうと思う。目を閉じて自分の体と心の声、この場合には訴えなのだけれど、それに耳を澄ましていると聞こえてくる、聞こえてくる。嘘偽りのない自分自身の本音が。内なる声が。たしかにもっと頑張ろうと思えば頑張ることはできる。まだまだできそうな気がする。でも、ここでこれ以上やったら明日倦怠感に包まれて朝起きれないかもしれない。疲れたら休む。疲れすぎないうちに早めに自分自身をケアしていたわる。もちろん、そんなことを言っていられない緊急時は仕方がないとしても、そうではない時には休んだ方がいい。休むのだ。とにかく今日は早めに寝るんだ。
 疲れっていうのは体の黄色信号なんだ。だから注意なんだ。休まないと回復できない状態になってしまいますよ、っていう知らせなのだ。だから休もう。やっと1300文字。何も無理して気張って3000文字以上の文章を疲れている時に書く必要はない。人はほめてくれるかもしれないけれど、自分をボロボロにしてまで作品を作っても自分に優しくないし、自分を大切にできていないよ。隣人愛ってね、自分を愛するように隣人を愛しなさいだよね。だからまず自分を大切に愛するっていうのが前提としてあると思うんだ。でなかったら「自分を粗末にするけれど隣人は愛しなさい」みたいな別の教えになってしまう。自分を愛するように、自分はまず愛した上でっていう話なんだ。自分を粗末にするように隣人を愛しなさいではない。となれば、結局隣人を粗末にすることになってしまう。そんなのダメだよ。
 ともかく、今日は早めに休もうと思う。そして、また明日から元気よくお料理や勉強やその他もろもろの活動をしていくつもりだ。それにしても疲れた。母の洗礼式も25日であとわずか。体調を崩している場合ではない。しっかりと休んで明日の英気を養いたい。

PAGE TOP