生きていくのに欠かせないもの。いろいろあるとは思うけれど、その中でも筆頭格が三度三度のご飯、つまり食事ではないだろうか。毎回、毎回食べて栄養補給をする。おいしく食べて心をも満たす。それが食事なのだ。
と書きながらも、最近わたしはやりたいことがたくさんあって、料理に時間を費やすのがもったいないように思えてきていた。一応、カレーとかパスタとか作ってはいたけれどどうも身が入らないというか、腰が入っていないというか、どうも手抜きのお手軽メニューの日々が続いていたのだ。
何も三食カップラーメン生活をしているとか、そういうわけでもない。けれど、どこかこの空白というか、何というか今一つな感じを脱することができていなかった。
で、そんなわたしは自分自身の生活を見直してみることにした。大幅な変更とか改革などといった大袈裟なものではないものの、それでも何かしら変えていきたいと思った。何を? もう少し料理に時間を割くようにしてみたいと思ったのだ。
料理に時間を割く。それはもしかしなくても、勉強の時間が減ってしまうことを意味する。と言いつつも家事と勉強を完璧に両立している人もいるだろうけれど、わたしにはそんな器用な芸当はできそうもないので少しばかりお勉強の時間を減らすのだ。そして、食生活をもっと今以上に充実させて、生活の質を高める。すごくいい発想だと自分でも思う。
母が言うには、NHKのきょうの料理にしろ、昔と比べると簡単になってきたらしい。それもそうだろう。わたしのように時間を自由に使える人ならいざ知らず、最近のお母さんは忙しいのだ。共働きが増えてきたから、空いた時間にちょこちょこっと料理を作る。だから、そんなに手の込んだ料理を作っている時間はない。
そんな時代の流れはわたしにとっては有り難いことで、料理初心者でも作れるような感じのレシピがたくさん出回っているのは本当に助かる。たくさんの材料をたくさんの複雑な工程をかけて作るレシピを見ると、途端に突き放されたような気持ちになる。そういう意味でも簡単でおいしいレシピというのはビギナーにもやさしくてわたしは大好きなのだ。
そうした追い風を受けて、料理初心者の星が歩み出した料理の道。別にプロになるとか店を開くとか、そんな高みを目指しているわけではないから、ぼちぼちでいいのだ。ぼちぼち作れそうな料理を作っていく。そして、結果的に料理のレパートリーが広がっていき、最終的には料理上手さんになるわけだ。なっていくわけだ。
料理をやっていて思うこと。それは料理というのは作る前から始まっているんだなっていうこと。何かを作るためにはまず材料を揃えないといけない。材料がなければもちろん作れないからだ。そこからもうなかなかトレーニングになっている。料理は脳にもいいって言うけれど、作る前に自分でスーパーに買い物に行き、メモした材料を買うという、それだけでもはや認知症になっている暇はない。的確に最短ルートで全部の材料を買うにはどう店内を回るのが一番効率的か。それを嫌でも考えることになる。買い物ってなかなか脳トレだと思うんだな。
で、料理は料理でもちろん頭を使う。その場、その場で合理的に迅速に作っていくためには段取りを無意識的であれ考えなければならない。あれやって、これやって、それからこれやって、ともたついていると時間はどんどん過ぎていってしまうから、ノンストップの流れ作業だ。それに野菜とかお肉を切るにしても、どれくらいに切れば食べやすいかとか考えるから、これもいわば脳トレになっている。最近、母から言われることが「手先が前よりも器用になったね」なのだ。何というか料理の仕事が以前よりもきめ細かくなったようなのだ。仕事が確実で的確になったというか、そんなことを母はわたしを見て言う。
そうこうして4、50分くらいだろうか。だいたいそんなに難しい料理は作らないから、それくらい経つと料理が完成する。そして、至福のひとときがやってくる。実食である。最近の料理研究家の方の完成度の高いレシピのおかげで、今まで作ってみて失敗したり、まずかったということは一度もない(それだけわたしがレシピに忠実に作っているということなんだろう)。どれもこれもおいしく完成する。しかも、簡単に割合短時間で。
完成した料理を食べるたびに毎回「うまい」とうなる。作って良かったとすごく思う。これがまずかったり、失敗続きだったりすればモチベーションは下がっていくんだろうけれど、今のところ大した失敗もないのでやる気が下がることもない。
作るのが面倒だったり億劫だなぁと思ってしまう時もある。でも、そんな時には料理に時間をかけることにしたんだ。生活の質を上げるんだ、と自分自身に言い聞かせるようにしている。で、やると大成功と共に満足感と幸福感が待っている。わたしは料理をやることによってそうしたプラスの感情だったり、前向きな気持ちだったり、幸福感を得ているのだ。
目標。何かしら毎日料理をする。忙しい用事のある日は無理だと思うけれど、それ以外の日は作るようにする。
昨日作った「鶏手羽のレモンポン酢煮」、すごくおいしかったな。こうした幸福体験を地道に重ねていくことそれ自体が幸福度が上がっていくことなんだろうなって思う。できることを地道にコツコツとやる。そしてそれを続ける。続けていく。
おいしいお料理がある毎日。それこそ幸せそのものなんじゃないかなってね。ま、ぼちぼち、ぼちぼちやっていきたい。急がず、あせらず着実にね。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。