平安あれ

 パッとしない青年、星大地。いつかは一旗揚げて、故郷に錦を飾ろうと思っていた。超売れっ子の作家になって、たくさんの作品を書き、名声を手に入れて賞賛の嵐を浴びたいものだと思っていた。けれど、何だかそのギラギラをやったところで一体何になるのだろう、という気がしてきた。無気力とか鬱とか、そういうことではなくて、何か違うような気がしてきたのだ。
 成功してお金を手に入れたら何がしたい? 大きな家を建てるんだ。大きな書斎と書庫を持つんだ。美人の奥さんをもらうんだ。猫も5~6匹飼うんだ。シェフを雇っておいしい料理を毎日食べるんだ。などと夢を膨らませていた時期もあった。
 でも、わたしはそのことに違和感を覚える。違うような気がする。違う、違うって何が違うかと言えば、それらによっては本当の平安は訪れないという意味で違うと思うのだ。
 まさにアメリカンドリームのようなサクセスストーリー。誰もが憧れる夢のような世界に、夢のような生活。でも、それって本当に満たされるのかな? 心が完全な平安に包まれるのかな? わたしはまだそれを手にしていないから、正確にはそれを手にしてみないことには分からない。けれど、普通に考えれば、それだけのものを手にしたらきっと、もっと、もっとってなるだろうなってことは容易に想像がつく。そして、少しでも仕事に陰りが見え始めたら、悩むだろうなぁとも思う。ましてや、作家として成功しているうちはいいとしても、うまくいかなくなったら、作家を廃業するところまで追い込まれたらまさに天国と地獄の両方を見た男で、下手したら自殺するかもしれない。それに幸せの感度が鈍くなっているだろうから、少しのことでは喜べなくなっている。今のわたしはスーパーで100円のバナナが半額の50円で売られているだけですごく嬉しく思えるのだけれど、成功したわたしはたとえ300円もする高級バナナを定価通りで買っても心を微動だにさせないことだろう。さらには作家として成功すれば、周囲の期待は否応なしにどんどん高まっていく。星先生、次回作を楽しみにしています、と重い重いプレッシャーを肩にこれでもかとばかりに載せられる。そして、少しでも作品のクオリティーが落ちれば、アマゾンのレビューでボロクソに書かれる。
 わたしが今言っていることって、もしかしなくてもキツネがあのブドウは酸っぱいからとそのブドウを手にできない自分を開き直っているだけだったりする。でも、想像することである程度分かることもある。本当に分かるのか、これは想像だけれども、社会的に成功した人の話の悲劇が時折聞こえてくるではないか。成功したところで、完全無欠の平安が訪れるわけではないんだよ、と。かえって苦しくなったんだよ、ってね。
 何かを手に入れる。何かを達成する。そうすればもちろん嬉しい。それは言うまでもないことだ。でも、その喜びが持続するかと言えば、すぐに消えてしまってまたハングリーに戻ってしまう。いや、もしかしたらだけど、何かを手に入れたことによって、今までよりもさらに幸せを感じることが難しくなっていってしまうのかもしれない。何かを手に入れれば手に入れるほど、よけいに渇くという逆説がもしかしたら成り立つんじゃないか。そして、どこまでもどこまでも欲望は際限なく更新され続けていって、それに振り回され続けて、ただそれを解消するためだけに毎日の生活が、つまりは人生が欲望を満たすためだけのものになってしまうという悲劇に成り下がってしまうんじゃないか。
 まさにキツネの星さんがあのブドウは酸っぱいんじゃないかと言っているわけだ。富とか名誉とか成功って塩水みたいなものじゃないかな。飲めば飲むほどのどが渇いて、どこまで飲んでも渇き続けるってやつで。
 だから、わたしはでっかい野心に満ちあふれた夢を追い求めるんじゃなくて、こころの平和、ならびに平安を求めていけたらなって思ってるんだ。欲をゼロにはできないと思うけど、少な目にしてむしろ要らない欲は少しずつ手放していきたい。そうしたら、本当に必要なものだけが残っていくんじゃないかって思う。欲望を最小限にして、少しのもので満足する。足るを知るわけだ。まさに環境にもやさしい省エネ型の生き方。精神的なものも、物質的なものも、物心両面ともに質素で簡素。その方が豪華なものを手に入れても満足できないよりも幸せなんじゃないかな。
 世間体、名誉、人からの評価、お金、などなどのいわば見栄のために生きようとするのはやめようと思う。わたしの平安はそこにはないんだ。わたしの平安はわたしの内側にしっかりとある。だから、それを煩わしいもので覆い隠さない。わたしの真実に向き合う時、年収いくらとか、学歴とか、社会的成功とか、そんなもの一切関係ない。ただ、わたしの内側に向かって向き合うだけ。
 方向性が見えてきた。とまぁ、そういうわけで、青年の星はぼちぼち行くのでした。平安あれ。

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