○ニクロにときめかないんだ

いろいろエッセイヨガ
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 我が家では新聞を一応とっていて、広告も入ってくる。広告は買ってくれぇとばかりに、華やかにわたしたちの購買意欲をそそろうと懸命だ。
 と、○ニクロの広告が入っていた。○ニクロの広告を眺めると最近のトレンドが分かるというか、服装の参考にはなるので、という表向きの理由に促されて広告を見てみる。
 何なんだろう。この違和感。今までのわたしだったら、オシャレな○ニクロのシティーボーイ風のつまり都会的な洋服にほれぼれしていた。のはずなのに、今のわたしときたら、広告にピクリとも反応しない。「そうなんですか」みたいな冷めたリアクションしか起こらないのだ。
 す、すこし焦り始める。○ニクロの広告を見て何とも思わない。ほしいとか、かっこいいとか思わないってどうしちゃったのかしらってな感じなのだ。感覚が麻痺してしまったのだろうか。それとも、わたしの中のおしゃれさんな心がもうすでに冬眠してしまったのだろうか。
 でも、何も心が無気力だとか凍結状態だとか、そういうわけでもなさそうだ。なぜなら、ときめく洋服もあるからだ。それはヨガの世界では知る人ぞ知る綿本彰さんが自身のヨガのDVDのパッケージで着ていた服。何か、すごくかっこいい。少し茶色がかったベージュっぽいやわらかそうな長袖シャツに、黒に白の縦縞が入った太めのズボン。すごくシンプルで素朴な服装。でも、この着飾っていないナチュラルな服がわたしにとってはすごくかっこよく思えてならないのだ。

↑わたしがときめいた服

 つまり、わたしが変わってきたようなのだ。都会的な洗練されたファッションではなくて、素朴なヨガをやる人の服装へと好みや趣味が移ってきたようなのだ。そもそも、○ニクロは最大公約数的な服じゃないかと思う。多くの人がかっこいい、素敵、かわいい、と思う服を大量に生産して大量に売る。まさにファストファッション。でも、わたしはその枠にはどうやら収まらないようなのだ。もっとマニアックな自分のライフスタイルと一致するような服が着たい、ということではないかと思う。もちろん、○ニクロが何から何まで気に入らないというわけではなくて(わたしの今持っている私服はだいたい○ニクロだしね)、使えるところは使いながらも自分らしさのようなものを開拓していけたらなと思い始めているんだ。
 ○ニクロにときめかないのもまぎれもないこのわたし。自分の感性というか、感覚を大事に育んでいきたいと思う。
 服装にはその人の主義主張がはっきりと現れる。わたしがこれからどんな服を着るようになっていくのか、わくわくする。もしかしたら、インド人みたいになってるかもね。で、カレーばっかり毎日のように食べてたりして(笑)。ありえるな。ま、それならそれでいい。自分の正直な気持ちに寄り添って歩んでいけたらと思う。ナチュラリストの星さん? いやはや、どうなるんだろう。未知数ですな。

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