新聞を読む。テレビのニュースを見る。すると、たちまちわたしは調子が悪くなる。何というか、どちらもネガティブオーラを全面にまとっているようで、わたしはそれらに接するとダメなのだ。台風が来ているとか、今日は晴れでしょうとか、雨でしょうとか言うのはいい。でも、○○容疑者が~~の疑いで逮捕されました、とか新型コロナの感染者数はこれだけですとか、そういう負と呼ぶしかない情報にふれると、わたしの晴れ渡っていたお空のようなメンタルはたちまち、サーっと黒雲がかかってしまう。他には、キラキラしている人の情報もダメで、自分って何でこんなにしょぼいんだろう、とその人と自分を比較して気持ちを落ち込ませてしまう。有名作家の新刊情報とか、どこかの社長さんの話とか、難関大学のどこどこ大学に受かりましたとか、そういう話もわたしのコンプレックスをチクチク刺激する。
となれば、わたしの戦略として、あえて情報を入れないのもありかなっていう気がしてくる。
新聞を読むこと、テレビのニュースを見ることがわたしのお仕事で、それでお金がもらえるんだったらいいですよ。調子が悪くはなるけれど、まぁ、一肌脱いで我慢もしよう。でも、こうした情報に我慢してふれても、メンタルが下降するだけで、何の得にもならない。というか、誰々が逮捕されたとか知ったところで何も得られるものはないし、コロナ感染者が何人か分かってもただ気持ちが暗くなるだけで何もプラスになる要素がない。
こうした世間を知ること、社会の大きな大まかな流れを知ることは大人のたしなみだとされているし、そのことをあえて疑う人はあまりいない。でも、わたしは精神疾患のある人間として、そのことに疑問を持っているんだ。本当にそうなのかな?、ってな具合に疑っているんだ。
っていうか、どこまで知ったら、大人のたしなみを果たしたことになるの? その線の基準ってどこ? その日の新聞を一通り読むとか、NHKのニュースを見ること? それをやらないとまずいのかなぁ。たしかに、そうしたことをさぼっているわたしは世間の出来事に実にうといことはたしかだ。でも、それで特にこれと言って、何か困っているわけではない。むしろ、そうした雑多な情報から距離を置いていることによって、心を騒がせることなく生きることができているんじゃないかって思う。
世間とか社会の出来事って簡単に言うけれど、そう言われているものって必要なのかなぁ。無関心も極まっているわたしだと自分でも思う。
そもそも、この世界に起こっていることをすべて知るのは不可能だ。物理的に不可能。70億もの人間が日々何をして、何を考えているのかってことを知るだけでも膨大な時間が必要だし(無限ではなくて有限ではあるものの)、そんな時間、1日24時間では足りないよ。1人の大まかな出来事を知るのに1分かけたとしても、70億分(ふん)かかるんだ。1日ってたった1440分しかないから、そんな神様みたいなことは到底無理なのは明らか。だとしたら、大まかな情報だけ知ればいいんじゃないかってことで、世界で起こっている大きな出来事だけをピックアップしているわけだ。それが新聞であり、テレビのニュースだったりする。だから、それらを読めば、見れば世界のことがだいたい分かるなんてそんなことはあり得ない。
ともするとわたしたちは世界のことをみんな分かっているんじゃないかって錯覚することがある。でも、世界全体の出来事のうちわたしたち一人ひとりが知ることができる情報なんて本当にわずかなものなんだ。世界全部からしたら砂粒にもならないくらいのことしか知ることができない。そこんところを謙虚に受け止めた方がいいとわたしは思うんだな。
そういうわけで、知ることができることなんて微々たるものなんだから、別に新聞とかニュースとか見なくても気にすることなんてないって思うんだけどな。あ、でも身近なこととして気象情報とか、新聞の1面くらいは見ておいた方がいいかもしれないとは思う。台風が来ていたり、天変地異や社会を揺るがす大きな出来事が起きたりするとやっぱり危ないからね。
ともかく、情報というものは手当たり次第、何でもかんでも入れればいいもんじゃないってわたしは思うんだ。もちろん、都合の悪い情報を遮断する、ということには賛否両論あるだろうけれど、調子が悪くなってまでして必要のない情報を手に入れようとすることもないんじゃないかなってわたしは思う。極端なことを言うなら、この世の本当のことを知りたいとか言って、全国の新聞をとって凶悪犯罪の情報をひたすら集めるとかね。でも、この世界はネガティブなこともあるけれど、それ以上に嬉しいことや楽しいことや幸せを感じさせてくれることであふれているんだ。あるいは、どちらでもない普通のことでいっぱいなんだ。だったら、闇ばかり見るのではなくて、この世の明るい光のある場所を見た方がいいと思うな。
というわけで新聞やニュースなどから距離を置いているわれらが星どん。まぁ、世間知らずになりすぎないようには努力いたしますよ。新聞の1面くらいは毎日チラリと見るようにはして、ね。現代社会の情報の洪水とどのように向き合ってやっていくか。腕の見せ所だと思う。わたしはその洪水に呑まれないように、自分をしっかり持ってやっていきたい。情報の洪水は溺れるためではなくて、その海を泳ぐためにこそある。ま、わたしはその洪水の海の上にプカプカ浮かんでのんびり日向ぼっこしていますよ。太陽の光を燦々と浴びながら、ね。いけない? いいと思うんだけどなぁ(笑)。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。