ヨガの神髄―向井田みお『やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ』

いろいろエッセイヨガ
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『ヨーガスートラ』という本の存在をわたしが初めて知ったのはアカリ・リッピーさんのアーユルヴェーダの本を読んでいたときのことだったかと思う。その時は別段気に留めることもなく、スルーした。何だかよく分からない本を持ち出して、何か言ってるな、くらいの認識だったと言っていい。けれど、ヨガを始めてぼちぼちヨガについての知識を広げていくにあたって、この『ヨーガスートラ』という本はヨガをやる人にとってのいわばバイブルで、気合いを入れてヨガをやろうという人にとっては必読書らしいと知り、わたしも読んでみることにしたのだ。
 そして、やっとこの本を昨日読み終えた。で、感想を書き残しておきたいと思い、今書き連ねようとしている。
 この本を強引に要約するなら、ヨガ道の解説書。そして、ヨガをやる人にとっての道しるべのような解説が所狭しと書かれている。
 パタンジャリという人が書いたとされるこのヨーガスートラは決して長いものではない。簡潔な短い箴言になっていて、この本は、向井田さんが日本語訳にしてくれていて、さらにそれに彼女が丁寧な解説をつけてくれている。ヨーガスートラの本文およそ長くても2~3行に向井田さんの何倍もの1ページとか1ページ半くらいの解説が続く。だから、分量的には向井田さんの解説が圧倒的に本の多くを占めている感じだ。
 この本を読んで、ヨガが自分教だと言われる理由が何となくだけれど分かった。それはヨガとは本当の自分を知るためにやることだからだ。本当の自分? これは自分自身の真実と言い換えてもいいかもしれない。
 わたしたちは毎日生きているわけだけれど、自分って何ぞや?、と問うなら自分の身体と心が自分です、と即答することだろう。けれど、それが誤りなのだとヨーガスートラはバッサリと答える。わたしたちの現代的な感覚からすれば、まるで常識をぶち壊されるようなそんな衝撃さえ感じることだろう。でも、それが真実だとヨーガスートラでパタンジャリ先生は言うのだ。
 自分の身体と心、さらには自分の考えまでもが本当の自分ではないのだと言う。本当の自分とはそれらをただ見ている存在であるらしいのだ。本当の自分とはパタンジャリ先生によれば、変わらず、何物にも影響されず、汚されず、永遠で、全知全能である存在。そして、すべてはその一つのものである。すべての存在を成り立たせているまさに根源。究極的な存在としか言いようがないような、そんな存在。それが本当の自分。
 そのことに目覚めたとき、人は輪廻から解放されて自由になる。もう生まれ変わらなくてもよくなるんだ。
 とここまで書いてきたけれど、この思想ってキリスト教と全然違うんだ。クリスチャンのわたしは終始戸惑いっぱなしと言ってもいい。そもそも、本当の自分が全知全能で最強だったら、神様のスペースなんてどこにもないし、すべての存在の根源は一つの同じものなんだって言うのもキリスト教とは相容れない。ヨガ哲学では輪廻を当然のように認めているけれど、キリスト教は人生は1回きりだと考える。天国や地獄なんていう観念もヨガ哲学には一切ない。
 ヨーガスートラとはまた別の瞑想の本に書いてあったことなんだけれど、わたしたちは海の波のようなものらしい。地球上には70億人という人間がいて、おびただしい人間以外の生物ならびに石ころなどの無生物もいる。それらはすべて波なんだ。現象として現れているけれど、すべては同じ海水でできた波でしかなくて、現れては消え、現れては消えてをひたすら繰り返している。何かこの世界観ってすごい。すべては波で、同じ海水からできているんだ、というこの発想。
 このヨーガスートラを読んでいたら、日々の思い煩いがとても小さくつまらないものに思えてきた。ブログのアクセス数が一向に伸びない。ブログのランキングが上がらない。社会的なポジションや名声や地位や名誉などが何も得られていない。とにかくしょぼくてため息が出てくる。
 今まではそんなことを思っていた。そして、気持ちを沈ませていた。しかし、それでもいいじゃないの、っていう気がしてきた。名声や名誉や社会的な成功が得られなくても別にいいじゃない。それよりも、わたしは心穏やかに平安と平和が得られればいいかなってね。どんな勲章も名声も名誉もすべては波なんだってね。単なる波しぶきでしかない。負け惜しみなのかもしれないけれど、何だかそういうゲームに乗っかって戦うのが意味がないような気がしてきたんだ。さらには、最近、宇宙のことも勉強し出して、日々とても小さなことに心悩ませていたんだなって客観的に眺められるようにもなってきた。宇宙は本当に広い。このスケールの前では1人の人間の悩みって本当に小さい。まぁ、そこまで宇宙論的視野に立たなくても、自分が宇宙のひとつの砂粒みたいなものだと思うだけでも世界の見え方はかなり変わってくる。
 ヨーガスートラの考え方でいくなら、この広大な宇宙もそしてそこに存在しているものもすべてが一つなんだ。現象としてはいろいろな形をとっていて、まさに百花繚乱、多様だけれど、その本質は一つ。源は一つ。根源は一つ。
 わたしはまだヨガを始めて4ヶ月だけれど、これを続けていって深まっていけたら宇宙との一体感とか感じることができるようになるのかな? で、それが宇宙と呼んでいるような広大な世界さえも治めておられるのが神様だから、また神様に戻ってくるのかな? 行き当たりばったりなわたしだけれど、ヨーガスートラを通して深遠な世界の入り口に立たせてもらえたように思う。
 ヨーガスートラでいうところの本当の自分。それが神様? 「本当の自分=神様?」なんてクリスチャンが言うべきでないのは重々承知している。けれども、もしかしたらだけれど、わたしたちすべての存在の中に神様がいるのかもしれないな。それが聖霊のはたらき? うーん、分からない。でも、わたしたちの身体は神殿で中にイエスさまが住まれているって聖書にも書いてあるし、あながち見当はずれでもないかもしれないな。
「本当の自分=イエスさま=神様? すべては一つ?」
 混乱しておりますが、有意義な読書だった。もしあなたもヨガをやっているとか、ヨガに興味がおありでしたらこの本を手にとってくださいまし。
 というわけでヨーガスートラ2冊目のスワミ・サッチダーナンダ『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ』を次は読みたいと思う。また読み終えて感想など書けましたらいいですな。さ~て、ヨガをやろうか。


向井田みお『やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ』


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