人間の価値があるのだとすれば、それはいかに偉大な業績を成し遂げるか、だ。そうした大きな偉業を成した人というのは、人間として価値がとても高い。いわば社会に、もっと言うなら人類にいかなる貢献をするか。できたか。
わたしはそうした価値観を疑うことなくやってきた。しかし、はたと気付いたのだ。それって本当なのかな、って。
つい先ほどまでわたしは、人間には価値の値札があると意識の上にはのぼらせなかったものの、漠然とではあるがそう感じていた。その一人ひとりの人間につけられている値札にはしっかりと数字が記入されている。高学歴者、お金持ち、社会的地位の高い人、容姿が美しい人、運動神経が優れている人、おもしろおかしいことが言える人、ユーモアがある人、おしゃれな人、優しい人、機転が利く人、などなど。その数字が高い人、つまり高値がつけられている人ほど人間として価値が高くて、みんなから重宝されて、愛されて、尊敬されて、幸せになれる。
だからだろう。わたしは今までその価値の値札の数字を上昇させることに心を砕いてきた。その数字を上げれば、上げさえすれば、わたしの価値も上がっていくと信じていたからだ。自分がやりたくないことであっても、自分の価値を高めるために我慢して取り組む。そうすれば、わたしに付加価値が加わって、ポイントは上昇していく。インスタ映えな人生は空しい、とことあるごとに力説しているわたしではあったけれど、この自分につけられている値札の数字を上げていくというゲームに今まで完全に絡め取られていたのである。
そういうわけだから、とても単純なのだ。要するにわたしの商品価値をどこまでも高めていこうとする営みだと言っていい。そのためには今よりももっと頭が良くなった方がいい。運動をして体を美しくした方がいい。清潔感を出すために頻繁に入浴する。食事も気を付けて美ボディを目指す。
たしかに自分の価値を高めようとしていくことは素晴らしいことではある。そうすることによって自分自身もブラッシュアップされて向上していくからだ。
でも、それが本当にわたしの価値なのだろうか。頭が良くなって、イケメンになって、好青年になることがわたしの本当の価値なのだろうか。それはわたしの本当の価値ではなくて、単に商品価値と言えるだけのものでしかないのでは? つまり、わたしを売った時にどれだけのお金になるか、という指標なのだ。頭がいい人は高く売れるだろう。なぜなら、頭がいいことによって多くの財をなせるからだ。容姿が美しい人も高く売れるだろう。それによって収入さえ得ることができるからだ。実際には人身売買はしないけれど、それでも自分という財をアピールして、切り売りすることは間違いない。
一方で、この考え方のこわいところは、自分の商品価値がなくなってしまったら価値自体もなくなってしまうと思えてくることだ。頭が良かったことを誇りにしていた人が何らかの病気や障害になり頭が悪くなってしまう。そうなったら、自分は価値ゼロなのだ。容姿が美しいことを自分の価値だと思ってきた人が事故などで顔に傷を負ったり、歳を取って容色が衰えたりすれば価値はゼロだ。自分の商品価値というものは常に変動しているものだけれど、それが一挙に失われれば、待っているのは絶望だけなのだ。もう誰も自分に価値を見出してくれる人はいないとおそらく自暴自棄になることだろう。
しかし、わたしははたと気が付いた。それって単に商品価値でしかないだろ、ってね。この考え方を押し通そうとするなら、次のようになる。ここにお金持ちのAさんと貧乏なBさんの二人の人がいます。どちらが人間として価値が高いのでしょうって。答えは単純明快。金持ちの方が人間として価値があるんだ。なぜなら、お金持ちのAさんはお金を生み出す能力があるのだから、明らかに商品価値が高いんだよ。だから、人間としても価値が高い。
ってそんな馬鹿な話があってたまるか、と思われたことだろう。けれど、わたしたちはお金の力にはめっぽう弱い。一日あたり1ドル以下で暮らす人と億万長者を前にすると、カネの力で億万長者の方が価値があるように見えてしまうし、思えてしまう。でもね。それは誤り。人間は平等であって、みんな無上の価値を持っているんだ。神様によってね。
もしも人間の価値があるのだとすれば、それを知っているのは神様だけじゃないかってわたしは思うんだな。この人は価値があって、この人は価値がない、とかもうそれは神様の領域でしょう。人間はそういう神聖な領域に立ち入るべきじゃない。
だから、「商品価値=人間の価値」というのは人間による現世的な価値判断でしかないんだ。カネになるかならないか、みたいなね。
何かスッキリした。商品価値が人間の価値だという何の根拠もない価値観に従っていきたい人は勝手にやっててくれればいいって思えてきた。わたしには価値がある。たとえ、商品価値が限りなくゼロに近付いたり、ゼロになったとしても価値がある。だから、安心して歩んでいきたい。この呪縛から解き放たれて気持ちが楽になった。神に感謝、感謝。
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エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。