1/70億のチェリーパイとアップルパイ

いろいろエッセイ
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 わたしが人間関係がうまくいかなくなると思い出す言葉がある。それはたしか高校の時、化学の先生が授業で言ってくれた言葉だ。
「みんなこれから恋愛とかで失恋することがあると思う。でも、絶対に死んじゃだめだからね。そんな時はこう考えるといい。日本に男と女がだいたい半々として6000万人ずついる。その6000万人のうちの1人にフラれただけなんだって冷静に考えてみるようにして。だから、1人にフラれただけなんだから、人生終わりではないんだよ。6000万人全員にフラれたなら仕方ないけど、それは物理的に無理だしありえない話だよ。だからもし失恋したらこの話を思い出してね。」
 その時はこの教師何言ってるんだくらいにしか思わなかったけれど、それから20年近く経ってもう40歳手前になったわたしには何だかこの言葉が人生の賛歌のように思えて、いいことを教えてくれたなぁって思うんだ。化学の授業がどんなだったかは何も覚えていないけれど、この話をしてくれた時の先生の表情は今でも記憶の中に残っているんだ。
 この先生の話をもっとスケールを広げて考えてみると、世界には70億の人がいる。それだけの人たちと知り合って関わり合いを持つようになるのは物理的には不可能だけれど、何だかそれがわたしには希望の光のように思えるんだ。
 わたしが人間関係がうまくいかなくて悩んでいるとしても、何だ、それは1/70億とうまくいっていないだけなんだと思い直すことができる。もしも、もしもだけど時間が永遠で世界中の70億人全員と会って話ができたとしたら、少なくともわたしと気の合う人が1万人はいると思うんだな。もしかすると、それでも少なく見積もりすぎているかもしれなくて、実際はそれよりも多くの人なのかもしれない。
 考えてみればわたしが出会った人なんて、この40年近い間だけであってもせいぜい数百人だろう。いや、もうちょっといって1000人くらい? その中で過去に友達になった人が数人いるのであれば、割合的に考えれば、70億全員のうち意気投合する相手というのは1万人なんてものではないかもしれない。
 だから、今のわたしの世界なんてものはすごくちっぽけなんだ。そのちっぽけな世界の中で一人とうまくいかない。で、悩んでる。何かわたしって小さい人間だな。
 考えてみればわたしは自由だ。どんな友達と付き合ってもいいし、どんな彼女がいてもいいし、一緒に生活する人だって自分で選べる。まさに自由。
 そのうまくいかない一人との関係にこだわるのではなくて、もっと目を見開いて広い世界の可能性を夢見てもいいのではないか、という気がしてきた。世界にその人とわたししかいなかったら、その人とうまくやっていくことを考えた方がいいんだろうけれど、現実はその人だけではない。
 ともすると人間関係で悩むときというのは、閉鎖的になりがちである。というのも、まるで世界に自分とその人しか存在しないように思えてきて、その人に嫌われることが破滅を意味するかのように。でも、決してそんなことはない。うまくいかなくなってしまったものの関係を改善したいと思う時には、自分自身が折れたり譲歩したりして歩み寄ることもいいかもしれない。でも、それでもうまくいかないとしたらこの関係を続けていくのか検討してみてもいいと思うのだ。
 人間関係というのは、好き嫌いが大きく影響してくるものだとわたしは思う。それはチェリーパイよりもアップルパイの方が好きだというような好みの問題だ。
 相手が自分にチェリーパイのようなあり方を求めたものの、わたしはアップルパイでしかいられない。だとしたら関係を続けていくには、わたしがチェリーパイになるか、相手に譲歩してもらってアップルパイでもいいと思ってもらうかの二者択一しかない。しかし、相手はチェリーパイの方がアップルパイよりも好きなのだからアップルパイであるわたしに合わせるのは大変だし、あるいはわたしが本来はアップルパイなのにチェリーパイになるのも一苦労を要するのだ。
 だから、チェリーパイでなければ嫌だという相手とどうしても今の関係を続けたいのであればこちらが折れるなり何なりすればいいのだけれど、そこまでして関係を続けたいと思えないのであれば、距離を置いたりして関係を見直してもいいんじゃないかって思う。世界は広いからわたしのアップルパイ的気質をありのままに受け入れてくれる人もおそらく探せばいることだろう。ただ、今のところ出会っていないだけでね。
 そういうわけで人間関係というのは好き嫌いの側面が強いから、どんなに紳士的で妥当性があって思いやりのある行動を取っても、それが気に入ってもらないということが往々にしてあるのだ。たとえわたしが万人受けする味のアップルパイだったとしても、やはり現実にはチェリーパイでなければ嫌だという人はいるし、りんごが嫌いだっていう人もいる。だから、難しい。が、だから、だからこそ、面白いと思う。
 万人受けする人がいるとしても、それはすべての人から受け入れられることを意味しないんだ。必ずそういう万人受けする人が嫌いな人が一定数いる。だとしたら、わたしにできること。それはわたしのありのままを認めて受け入れてくれる人を粘り強く探すことである。わたしの欠点をも許容範囲内として受け入れてくれる人を探すことである。
 ありがたいことにこの地球上にはたくさんの個性豊かな人たちがいる。それも70億人も。だったら、その全部と知り合うことは無理でも、できるだけ多くとコンタクトするのがいいんじゃないか。そして、わたしがアップルパイであることの長所と短所を受け入れてくれる気の合う仲間や伴侶を探すんだ。
 だから、たとえ誰かとの人間関係がうまくいかなくなっても人生の終わりではない。むしろ、新しい関係へと開かれていて、希望の光が燦々と降り注いでいるんだ。と言いながらももしかしたらこの人生の旅路でそうした人と出会えないかもしれない。でも、きっときっと「類は友を呼ぶ」との言葉通り神様から仲間や伴侶が与えられるのではないか。
 1/70億の少し自意識過剰なアップルパイのわたしがこれからどんな人と出会って、どんな関係を紡いでいくのか。そして、自分がアップルパイであることを肯定していけたらと思う。アップルパイはチェリーパイにはなれない。でも、だからこそ、アップルパイにはアップルパイの、チェリーパイにはない良さがあるのだ。

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