「あなたのようにはなりたくない。」
このブログのコメント欄に以前、わたしはこう書いた。わたしは本当にそう思っていた。Yのようになりたいとは思えなかった。
Yは本当に偉い人だ。自身もわたしと同じ統合失調症だというのに、障害年金ももらわないでクローズド(障害があるということを伏せて働くこと)で働き、経済的にも自立している。そんなわたしから見たら障害者の鏡と言ってもいいようなY。
でも、そんな素晴らしい人であるはずのYのようにはなりたくない。なぜか。それはわたしを尊重してありのままを受け入れようとはしてくれないからだ。彼はわたしを批判する。批判して働きなよと忠告を通り越して、彼曰くそれはそれはありがたい警告をしてくれるのだ。
Yの生き方。仕事をしていることは素晴らしいと思う。わたしなどのように働きもせず、好き放題に気ままな生活をしている人間とは雲泥の差なのかもしれない。
わたしは思う。Yが何もわたしに働くように言わず、ただ彼の背中を見せてくれていたらどんなにわたしは尊敬できたことだろうか、と。もしかしたら、わたしだって「それだったら働いてみようか」と心を動かしていたかもしれないのだ。しかし、「北風と太陽」という童話(だったかな?)のごとく、強い風で吹きまくられたわたしはコートをしっかりとつかんで、「絶対に脱ぐものか」と意固地になってしまったのだ。
わたしはYのようにはなりたくないのだけれど、彼のように働きたくないのではなくて、彼のように働くことによってそうしない相手を見下したり、批判するようなそんな人物にはなりたくないということなのである。まぁ、一言で言えば働かない人間を見下すような人にはなりたくないのだ。
Yから見たらわたしなんて、どうしようもない困った人なんだろう。ああでもない、こうでもないと無駄な理屈ばかり並べて一向に働こうとはしないからだ。でも、でも。わたしの、わたしなりのささやかな頑張りを認めてほしいのだ。
みんな頑張っていると思う。Yから見たらわたしなんて何も頑張っているようには見えないことだろう。働いていない人間がどうしようもなく駄目に見えることだろう。怠けていて、たるんでいて、頑張りが足りない。でも、わたしも含めてみんな頑張っているんだ。みんな多かれ少なかれ重さは違うけれど、重荷をかかえていて、それでも精一杯生きているんだ。それを「お前の頑張りは全然足りない。もっと頑張れ」と否定的な言葉を投げ掛けるのって残酷だと思うんだよ。まずはね、相手の重荷を認めることから始めた方がいいんじゃないかな。たとえそれが自分から見て指先一つで動かせるほどの重さだったとしても、その人にとってはなかなか重かったりすることってあると思うんだ。だから、自分の基準で「お前の重荷は全然重くない」とか判断しないでもらいたいんだ。世間から見て何もできていない人、俗に言う駄目な人だってその人にはその人なりの悩みや迷いや葛藤があって、それでも懸命に生きているんだよ。だから、まずはそれを認めること。そこから始めなきゃ話が始まらないと思うんだよ。だから、働いていない人に対しては「働け」一択ではなくて、その前に「大変そうだけど大丈夫ですか?」とか「何か困っていることはないですか?」から始めるべきなんだ。あるいは、もっと相手の希望とかニーズとかそういうものを詳しく汲み取った上で、その人が働きたいと心の片隅で思っているようだったら、「働いてみるのもいいと思うけどな」とさりげなく提案する。わたしの言ってることはおそらくYにとっては甘くてゆるすぎるようにしか見えないだろうけれど、それくらい慎重にやさしく話を進めていったほうがいいとわたしは思うんだな。ましてや過去に自殺未遂歴があるわたしのような人に対してはやさしく接しなければまずいとも思うんだ。甘いのかな? わたしの言ってることって甘ちゃんで軟弱でどうしようもないのだろうか。でも、これが分からないようだったら返す言葉がないな。分からないようだったら臨床心理学とかカウンセリングを一から勉強してみるのがいいと思う。何というか、とても繊細な世界が展開されているから、わたしの言おうとしていることがあながち的外れではないと理解してもらえることだろう。
と、もっと相手にやさしくしなさいと言っているわたしだけど、批判しているY自身ももしかしなくても大変なんだと思う。統合失調症を抱えながら、クローズドで病気を公表もせず、障害年金すらもらっていない。で、ひたすら健常者と同じように仕事。大変なことだろう。Yも大変なんだ。だから、楽をしているように見える人間を見ると許せないんだ。俺はこんなに頑張って、こんなにやっているのに、お前らと来たら働きもせずぐだぐだ過ごしているだけ。ちっとは働け。そんなYの心の声が聞こえてくるかのようだ。
わたしがYに何か言えるとしたら、オープン(障害があることを公表して働く)で働いたらどうですか。障害年金もらったらどうですか、くらいだろうか。Yは自分で自分を苦しい状況へと追い込んでしまっている。だから、今言ったことを変えてみるといいんじゃないかって思うんだ。実際、統合失調症で障害があるんだから、公表して働いた方が必要なサポートが得られやすくなるし、障害年金だって立派な権利なんだから、何ももらうことに引け目を感じる必要はない。
これらを自分で辞退して自分で自分の首をしめながら、それらを受けている人に批判を加える。これってまさにブルーハーツの歌にもあるように、弱い者がさらに弱い者を叩いている構図だよね。
Yのように、さらに弱い他者を見下したり、批判したりするような人にはなりたくないけれど、一日も早く彼の潰されそうなくらいの重荷が少しでも軽くなることを祈り求めずにはいられない。
わたしのブログ、もう読んでくれなくてもいいとコメント欄に書いたけれど、もしこれを読んでくれているようだったら、あなたの苦しさ、大変さに寄り添えなくてごめんね、とわたしは謝罪まではいかないけれど、申し添えておきたい。
Yも大変なんだ。でも、だからって人を見下したり批判したりするのは良くないけどね。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。