答えはすぐ近くにあった。何も悩むことはなかった。すぐそこにあったのだ。
今までのわたしは人間の価値をその人のやったことや成し遂げたことの大きさだと思っていた。だから、何かすごいことをやらなければならない。偉業を成し遂げなければならない。そう思っていた。
そんな凝り固まったわたしの考えを覆してくれたのがまたもやキャベツである。我が家の小さな庭のプランターに植えてあるキャベツが教えてくれたのだ。
キャベツの圧倒的な存在感がわたしに何かを伝えようとしている。キャベツの前にたたずむこと10分くらいだっただろうか。急に泣けてきたのだ。キャベツの緑色の生命力がわたしに迫ってくるのだ。そこに存在している。それを見ていたら、わたしにはもう何も言うことがなくなった。
ただ、キャベツがキャベツとしてそこにあること。それだけで十分じゃないかっていう気がしてきた。
人間という生き物はとかく何かに序列をつけたがる。1番、2番、3番という具合に。でも、キャベツにはランクとかそんなものはない。ただあるのは、そこにキャベツがあるということだけ。
キャベツはキャベツとして精一杯生きている。もしもキャベツに価値があるのだとしたら、ありのままに生きていることにあるのではないか。と言っても、キャベツは価値とか何だとか小賢しいことを考えないけれど。
わたしは、と言うと、いつも誰かと自分を比べている。そして順位をつけて自分が下の方にいることを嘆く。上の人をうらやましいと思って嫉妬する。
キャベツは比べないんだ。自分が上だとか下だとか言って比べたりはしないんだ。そのあり方にわたしは言葉を失う。ただただ驚くんだ。
生きていること。それだけで価値があるんじゃないか。価値などという、手垢にまみれた言葉じゃなくて、何て言ったらいいんだろう。いるだけでもうこの上ない。存在そのものがどこまでも尊いんだ。
だから、人間の価値はその人がやったことや成し遂げたことでは変動しない。ついわたしは資本主義に染まってしまっているのか、お金をたくさん稼げた人が偉い人だと思ってしまうふしがある。でも、それは違う。何をやったか、ではその人の価値は変わらない。何もやらなくても、できなかったとしてもその人の価値は下がらない。誕生から死まで水平の直線のまま変わらない。反対に、何か大きな偉業を成し遂げたり、多くの人から聖人と崇められたとしても、その人の価値は1ミリも上がらない。水平のまま一定であり続ける。
こういうことを言うと、何か大きなことをやろうとか善人になろうという気持ちが萎えてしまうかもしれない。だったらこう考えればいい。わたしの価値は生まれた瞬間から最期の時までマックスなんだ。最大値なんだ、と。だから、人間にはそれを自分で上げ下げする力はない。その力があるのは神様だけだとわたしは思う。それをやっていいのは神様だけ。人間に「お前は価値がない」とか「あなたは何て価値があるんだ」と言う資格はそもそもない。
神様は無言のキャベツを通して、わたしに大切なことを教えてくれた。あの青々としたキャベツの葉っぱをみると、生きているって何物にも代え難いって思うよ。生きている。そのことだけで、もうこの上ない価値があるんだ。お金になるかどうか。それは商業的な価値であって、本当の意味での人間の価値とは違う。混同しないようにしたい。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。