103円の幸福

いろいろエッセイ
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 今日、珍しくデパートに行ってきた。何の用で行ったかというと、祖母のお葬式のときにもらった香典のお返しを送るためだったのだ。香典返し。わたしたち親子はキリスト教だから四十九日も何もないけれど、とりあえずそれくらいまでに返したいね、とのことだったので無事送ることができて良かった。
 特に何も考えずに行ってきたデパートだったけれど、そこで見たこと、その見たことを通してわたしが感じたこと、さらにはそこから考えたことなどをありのままに書いていきたいと思う。
 わたしたち親子は香典返しを送るべく、レジの様子を一望できる席に座っていろいろと必要事項の記入をしていた。送り先だったり、送り主の住所だったり、電話番号だったり、いろいろと書いていたわけだが、そうすると自然とレジでの店員と客とのやり取りが目に入る。見えるだけではなく、具体的にどんな会話をしているのか、といったことも聞こえてくるのである。
 一言でまとめるなら、何であんなにデパートの客って横柄なんだろう、というのが正直な感想だ。一応、店員に敬語は使っているものの、何だかアゴで使うというか、下に見ているというか、そんな感じで丁寧な言葉を一応使いながらも全然そんな感じがしてこない。あれじゃあ、敬語使ってる意味ないよ。敬う語って書いて敬語でしょ。それなのに彼らときたら、とにかく上から目線で威圧的で命令的ですらある。これだけ高いものを買ってやってるんだから、わたしの下僕として仕えろ。そんな言外のメッセージが感じ取れてくるくらいだ。たしかにデパートの店員のお給料なんて金持ちから見たら駄賃、雀の涙程度のものでしかないのだろう。だからだろう。店員を蔑んでいるし、ひたすら一方的にコキ使う。これでもか、これでもか、というくらい残念な態度を取る客たちなのである。
 そんな客の相手を毎日、四六時中しているからだろうか。店員も幸せそうではない。心がすり減っているようで、もういっぱいいっぱい感が伝わってくる。わたしたちがデパートに入ったのは11時頃だったけれど、まだ始まったばかりなのに、連日の疲れがたまっていることもあるのだろうか。表情が疲弊している。
 さらに印象的だったのは、客たちが結構高額なものを買っているのにもかかわらず、全然幸せそうでないことだ。まるで日頃のストレスやいらだちや不満などを買い物という行為で発散しようとしているのがあからさまに見てとれる。料理にたとえるなら、そうだな。うどんをゆでているときにふきこぼれそうになって、少量の水を注いであふれないようにしているみたいな。そんな感じがした。本当だったら、水を注ぎ入れるのではなくて、火力自体を弱くすべきなのだ。根本的な原因を改善しようとしないで、対症療法的な処置をひたすらしているような感じとも言えるだろうか。買い物をしていれば、楽しんでいておそらく幸せ感が増しているだろうと思うのが妥当なはずなのに、彼らはとにかく不満そうなのだ。少なくとも彼らは3000円以上のものは買っているだろう。しかし、一向にその客たちの表情は晴れない。でも、つまらなそうな表情がほんの少しましになったくらいの変化はありそうだが、それでも不満そうなことに変わりはない。
 観察していると、高そうな洋服を来ている人が結構レジにやって来る。身なりがいいというか、さりげなく着ているものがいいのだ。そこに薄汚れたジャージで来ているわたしはまるで場違いか何かのように思えてくる。
 20代くらいのさり気なくいいものを来ているお兄さんが母親らしき人と一緒に来ていて何か買ってもらったようだ。母親が支払いを済ませる。それを一応もらっておくといった様子で受け取る息子。全然嬉しそうではなくて、軽く「サンキュー」みたいな感じ。そうだな、わたしが差し入れとしてペットボトルのお茶をもらったみたいなノリなんだよな。
 こんな感じでまじまじとは見ないものの一応、客たちの支払いの様子を眺めていた星である。そんなこんなで香典返しを送るのも終わってふたりして「よろしくお願いします」とデパートを後にした星さん親子だった。
 次にどこに行ったかというと、コンビニである。今日は水筒を準備する時間がなくて飲み物を持ってきていなかったんだ。だから、喉が渇いていた。そんなわけでコンビニに入る星。これおいしそう、とジンジャーレモンの炭酸水を買う。103円。レジでお金を払う。払う星。わたしはレジの店員の女性、そうだな、20代前半くらいだったと思うけど、その人に少し明るめに、しかししつこすぎない感じで「どうも」って言ったんだ。その言葉の割合明るい響きが彼女の心を動かしたんだろう。何だかとても嬉しそうに笑ってくれたんだ。その笑顔がとても良かった。デパートでわたしたちに応対してくれた疲弊した店員よりもコンビニの店員の方が人間として輝いていたように思うんだ。もちろん、アルバイトのコンビニ店員はお気楽なもので、大手デパートの店員はそれに比べたら明らかに重責なんだから比べるのはおかしいという意見もあることだろう。でも、10万円以上のものを買っても笑顔一つなかったデパートの店員よりも、たった100円であっても明るく応対してくれたコンビニ店員の方がいいとか悪いとか価値判断は抜きにしても、後者の方がわたしは好きだし、とても尊いと思うのである。
 それからわたしはこんなことを母に言ったかと思う。「100円のジンジャーレモンの炭酸水をおいしい、おいしいって喜べるわたしとあのデパートの客のようにうん万円買っても満足できないのとどっちが幸せだと思う?」って。さらにわたしはこうも付け加える。「スーパーで100円のバナナが値引き品になっていて50円で買えたとかって喜ぶのは安上がりな男かもしれないけれど、断然こっちの方が幸福度高いんじゃないの?」母はうなずいてくれて、「そうだね」と言ってくれる。
 103円の幸福。炭酸水、とってもおいしかったな。幸せだよ。

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