わたしはわたし

 ここ最近、わたしのブログのコメント欄で醜い議論の応酬が繰り広げられていたのはもうすでにご存知のことだろう。Yという人物が「働こうよ」とわたしの記事に批判的なコメントをしたのを皮切りに、その一連の出来事は始まったのだ。
 はっきり言って、まともに議論などするべきではなかった。それが今思うことだ。
 Yはとにかくわたしを次から次へと批判してくる。そして、自分の優越性、優位性をこれでもかとばかりにわたしに示してくるのだ。
 以前のわたしはせっかくコメントを寄せてくれているのだから、真摯に向き合わなくては、と思い、打たれては気を取り直し、打たれては気を取り直すを繰り返してきた。そして、彼と真面目に議論をするようにしていた。
 が、ある本を読んでそもそもそうした必要がないことが分かった。彼はどうやら自分が相手よりも優れていることを示したいだけであって、とても残念な人なのだ。
 そもそも、利害関係もない赤の他人に「働こうよ」とか言うこと自体が他人の領域にズケズケと入り込んでいるではないか。わたしにとってはこれは、「独身でいないで結婚しようよ」と言われていることと近いようにさえ思えるのだ。きっと彼はわたしに自分の優位性を示して、わたしをコントロールしたいのだろう。彼はわたしに働くようにと何度も忠告してくる。でも、考えてみれば、わたしが気持ちを変えて働いたところで、一体彼に何のメリットがあるのだろう。それがよく分からない。働こうよ? 大きなお世話だ。そんなに労働の素晴らしさを広めたいなら、政治活動でもして「働こうの党」でもつくって立ち上げればいい。本でも書いて多くの人に訴えればいい。
 わたしはこれでも頑張ってきた。Yから見たら全然頑張っている部類には入らないのかもしれない。努力が足りないのかもしれない。でも、頑張ってきたんだ。自殺未遂を繰り返していたどん底の時代を経て、ここまで上向きにしてきたんだ。それをYは全然汲み取ろうともしない。そうした頑張りを認めようとはせず、わたしを批判してくるだけ。ここまで批判ばかりだと気持ちがへこんでくるわ。せっかくアーユルヴェーダとかも始めて調子が上向きになってきたのに、また下降し始めている。
 Yはわたしの弟と一緒だよ。弟はたしか去年の10月か11月頃にわたしに「何もやってないだろ」と言った。その言葉が忘れられなくて心の傷になっている。Yも同じようなメッセージをわたしに向けてくる。
 それから、わたしが過去に弟と一悶着あったことを全く赤の他人のくせに、弟とも会ったことすらないのに、その場の状況など全く知らないくせに、Yは批判してくるのだ。暴力はいけない、容認できない。たしかにそうだ。しかし、それって裁いていないだろうか。何やら自分が裁判官か何かと勘違いしているんじゃないかって思う。わたしは耐えたんだ。我慢したんだ。もうどうしようもないくらいどん底だった時に、「これからどうするんだ?」と厳しい口調で連日のように詰問してくる弟の言葉を耐え続けたんだ。本当に耐えたんだ。で、ある時、わたしの堪忍袋の緒がプッツーンって切れた。で、やってしまった。あれはわたしにとって人生の汚点だ。軽い暴力とはいえども暴力は暴力であって、自分のポリシーと決定的に対立する。でも、法的な怪我をさせるとか傷害沙汰にはなっていない。それだからいいんじゃないかと書いてしまったのはYとの議論の応酬とはいえども良くなかったと反省している。けれど、その暴力に至るまでの過程というか、わたしの気持ちを察してもらいたかったのだ。ただ一方的にお前が悪いと断罪するのではなくて、わたしの気持ちを、そこまで至ってしまった気持ちを少しばかりでも「それは大変だったね。暴力は良くないけれど大変だったね」と汲み取ってもらいたかったのだ。
 Yはわたしの気持ちを汲んでくれない。察してくれない。分かろうともしてくれない。もちろん寄り添ってもくれない。ただ、高いところから「お前は間違っている」「お前のやっていることは良くない」と批判してくるだけなのだ。
 そういう残念な人とはどう関わるのがいいのか。さきに挙げた本ではスルーすべしとある。スルー。逃げるのではない。スルーするのだ。
 わたしの人生の責任はわたしにある。誰かからのアドバイスを実行するかどうか決めるのも自分だし、それを実行することによって生じた結果も自分で引き受けなければならない。Yにはそうしたわたしの責任をすべて引き受けるだけの覚悟があるのだろうか。わたしの人生の責任をとるだけの心構えがあるのだろうか。ないと思う。それは即答できる。
 わたしの人生の責任はわたしにあり、それはYにとっても同じで、YにはYの人生があるのだ。だから、達者でやってほしいと思う。
 仕事をするのかしないのか、それを決めるのはわたしだ。Yではない。すすめられた本の感想まで書いたけれど、わたしはわたし。YはY。それぞれの人生を歩んでいく。

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