昨日は珍しく書き物に夢中で夜の11時頃まで夜更かしをしてしまったので、朝も順繰りにずれていき、今日は何だかんだで朝6時半に起きた。やはり、昨日やりすぎたからだろう。朝からだるくて疲労困憊といった感じで、とにかく消耗感がすごい。さらには、腰も痛くてどうしたものか、やはり規則正しい生活を送ることと、自分のペース以上のことをしないようにするのは大切だなと痛感した星なのである。
そんなわけで朝まっさきにアーユルヴェーダでは疲れている時、だるい時にどういうセルフケアをするのかというのを本でざっと読んで、だいたい本の通りのことをしてようやく持ち直すことができた。
今日は遅めの10時頃の朝散歩だったけれど、もう春めいていて、小春日和といった感じで歩いていたら暖かいを通り越して暑くなってきて、途中からジャージの上着を脱いで歩いた。
散歩しながらふと祖父のことを考えた。祖父はご存知の通り、今は施設で生活している。それで施設の方針というか、考えで祖父は亡くなった祖母と会えなかったのだ。理由としては今はコロナのご時世で、もし仮に入所している本人が外出などをして新型コロナに感染したら高齢なだけに、その人の命にかかわる事態になってしまうかもしれないし、コロナが施設に持ち込まれたら大変なことになってしまうとのことだった。理由としてはもっともだ。わたしの、祖父を祖母に会わせてあげたいという要望を聞いた施設のケアマネさんが看護師長とかとにかく責任者の人に掛け合ってくれたのだけれど、祖父以外の人であっても外出は認めていないし前例もないとのこと。とにかく外出は厳禁で認めていない。もっともだ。が、祖母の死に目に会えなかった祖父は事後報告を聞いてどう思うのだろう。
わたしは何か気が重い。果たしてわたしは祖父にちゃんと誠実に伝えることができるのだろうか。たしかに祖父が受けるダメージを考えて祖母が亡くなったことを伏せ続けるという方法もある。けれど、それってどうなんだろう。祖父に本当のことを知らせないのってまずいんじゃないか。祖父が亡くなるまで祖母は生きているのだと思わせておくのは欺いていることになる。それは、できないし、やってはいけないことだ。だから、近いうちに祖父と施設で特別に面会させてもらって、本当のことを伝えようと思っている。祖父は悲しむだろう。もしかしたら、祖父は生きる気力を失ってしまうかもしれない。立ち上がれなくなってしまうかもしれない。でも、祖父に本当のことを伝えないで死ぬまで欺き続けてまるで嘘の幻想や希望に安住させるのは祖父に対して誠実とは言えない。
これって日本の昔のがん告知のあり方と似ていないだろうか。がんだとしても本人にはがんだと一切伝えないで、とにかく心配いらないから、すぐ治るからと希望を与え続ける。でも、それが問題のあることで、やはりそれは本人を騙していることだということで、今の日本の医療ではがん告知が当たり前のこととしてなされるようになった。
本当のことを知ること。本当のことというのは時に残酷で打ちのめされてしまうほど衝撃を受けることもある。でも、逆に真実を知ることによって、その人がやっと嘘偽りのない道を進んでいくことができるのだ。
たしかに繊細な人などの場合にはあまりの衝撃でその人が崩れ落ちてしまうこともあるだろう。しかし、その人には本当のことを知る権利がある。なぜなら、その人自身のことやその人にとって大切な人のことだからだ。だから、本当のことを知らせないことはある意味暴力であると言ってもいいかもしれない。もちろん、言わない方がいいこともあるだろう。言ったことによって取り返しのつかない事態に陥る内容もあることだろう。そういったどうしてもやむを得ずつかなければいけない嘘もあるのかもしれないが、今回の祖父へ祖母のことを知らせることは誠実に伝えなければならないことだ。たとえ祖父がダメージを受けるとしてもしっかりと伝える必要がある。
もう少ししたら、施設にいる祖父に会って話をしようと思う。祖父に対してわたしは誠実でありたい。だから、悲しいことだけど祖母のことを伝えるんだ。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。