祖母永眠

キリスト教エッセイ
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 このブログでも祖母のことはいろいろ書いてきた。だから、星さん.netの読者の皆様はあれから星さんのおばあさんはどうなったのだろうと心配されていたんじゃないかと思う。
 ついに、ついにあの祖母が昨日、2月24日に永眠しました。
 朝のたしか7時半頃にわたしの携帯に施設から電話がかかってきて、危ないから来てほしいと言う。朝食がまだだったわたしと母である。母はまだ起きていない。母を起こしにいく。で、簡単に朝食をとっている最中だったか、食後だったかそこのところははっきりとは覚えていないが、また施設から電話がかかってきた。今度は祖母の呼吸が止まっていていつごろ来られるかと聞いてくる。タクシーを呼ぶのに15分、施設まで到着するのに5分くらいとすると、だいたい20分。8時半までには行けますと電話で施設の看護師に答えてバタバタと大急ぎで祖母のもとへと向かった。
 タクシーが思っていたよりも早く来てくれて、8時10分かそれくらいで施設に着いたんじゃなかったかと思うのだが、本当に焦っていたのでそこあたりの記憶がはっきりとしていない。
 着いた。大急ぎで祖母のもとへと向かう。が、祖母の呼吸は電話にもあった通りすでに止まっていて意志疎通などできる様子ではない。祖母の体からは血の気が失せていて生命活動を終えた人特有の空気が出ている。
 その前にその施設の医者からの話があったのだけれど、ほとんど覚えていない。
 で、医者がやってきて、(あれ? 医者と一緒に祖母のもとへと行ったんだっけ?)死亡の確認作業をした。そして、死亡が確認された。
 令和4年2月24日8時20分。ついに祖母は90年の生涯に幕を下ろしたのだった。
 祖母の死に顔は安らかなものだった。何も苦しんだ様子がなく、それはそれは安らかだった。生前から延命治療を希望していなかった祖母だったので、家族のわたしたちもその希望通りにした。
 病院から退院して施設に戻って3日で亡くなった。わたしたちはこんなに早く祖母が死ぬとは思っていなかった。あと2週間くらいは生きるような、それくらいのつもりでいた。
 けれど、母とわたしは後悔していない。やれることはやった。ベストを尽くせた。だから、祖母の死は90ということもあるのだが、大往生なのだ。
 終わりの半年くらいは本当に闘病が大変だった。病院と施設を何度か往復し、時間が経てば経つほど弱っていた祖母。
 そんな祖母だったが、わたしは祖母にとっては病は必要なものだったんじゃないかと思っている。血液の病気になって、最後は白血病化したのだけれど、もしもこの病気にならなかったら祖母は生涯不平不満を言い続けていたことだろう。あれが気に入らない。これが気に入らないと不平を言い続けていたに違いない。でも、祖母の病は祖母に感謝することの大切さを身を持って教えてくれた。それも強烈に教えてくれた。わたしなどが祖母に病は必要だったなどというのはおこがましい限りで傲慢なのかもしれないけれど、本当にそう思うのだ。病は祖母を変えた。病という苦難は祖母を洗い清めて生まれ変わらせた。人間的に大きく大きく成長させた。
 祖母が病院を退院して施設に戻った2月21日に母とわたしは祖母と話をしている。「ありがとう。感謝しています」とわたしたちに何回も言う祖母。それも上っ面のありがとうではなくて、本当に感謝しているありがとうの連呼だった。耳が遠い祖母に隣の部屋に聞こえるくらいの大きな声でわたしたちの思いも伝えながら、あぁ、いい終わり方ができそうなものだったと安堵したことを思い出す。
 そして、長年、母娘問題とも言うべき祖母と母の確執も最後の最後になって溶け去ったのだ。この確執は本当に深刻なもので母と祖母は何度つかみ合いの喧嘩をしたことか分からないほど。それがやっと和解した。和解などという堅苦しい言葉を使うべきではないな。やっと、分かり合えた。こう言うべきだ。祖母と母はやっとお互いの人生を肯定し合うことができたのだ。まさに有終の美。終わり良ければすべて良しとでも言わんんばかりに本当に終わり良しとなった。つかみ合いの喧嘩もした。罵り合うことさえあった。このわたしであっても祖母に対して「もう勝手にしろ。お前とは関わりたくない」と悪態をつかれて思った時もあった。でも、最後の最後で本当にいい終わり方ができた。有終の美だよ。本当にこれこそ有終の美。
 「神様、ありがとう」と心から思う。苦難のうちに神を見出すというのはこういうことだったのかとわたしは今、とても納得してすがすがしい気分でいる。
 祖母が地上の生を終えてもう会えないことは寂しい。でも、また天国で会えるよ。祖母は教会にも無縁の人でもちろん洗礼も受けてはいないけれど、きっと神様は天国へ祖母を入れてくださるよ。神様は悪いようにはなさらない。ましてや、あれだけ頑張った祖母なんだからきっと報われる。
 おばあちゃん、あと60年くらいしたらそちらへ行くかと思いますが、その時はまたよろしくお願いしますね。

 神様、祖母に安らかな平安と慰めをお与えください。主イエスのみ名によって、アーメン。

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