神様、こんがらがりました

いろいろエッセイ
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 こんがらがっている。まるでもつれた糸のようにわたしの思考は入り乱れている。
 わたしはこれからどういう風にしていけばいいのだろう? 何も人生に行き詰まったとか、そういうことではなくて、やりたいことが次から次に浮かんできて困っているのだ。まさに贅沢な悩みとでも言うべき、デラックスなお悩みである。
 と言いつつわたしは38歳にもなるというのに、今まで仕事をしたことがない。つまり、職についたことがない。だから、社会経験はほぼゼロのようなものだし、自分自身社会を知らないまま大きくなってきてしまったことは否めない。
 で、浮上してきたお悩みはお仕事のことなのだ。将来(今も将来だけれど)、どんな仕事につくのか思案しているのである。作家になりたいとTwitterのプロフィール欄にも豪語しているわたしだけれど、何かそれはそれとして置いといて、まずは一つの職業を持った方がいいような気がしてきたのだ。
 で、浮かぶは浮かぶ。これは無理じゃね、的なものももちろん含まれている次第で結構無謀な星なのである。でも、考えるのは、想像するのは、思い描くのは無料だし、自由だ。存分に夢をこねくり回したいと思う。
 でも、ふとそんな上昇志向真っ只中のわたしにぽつりとこんな水を差すような言葉がどこからともなく投げ掛けられてきた。
「本当にそれでいいの?」「あなたの人生をそのことに費やしても本当にいいの?」
 わからない。わたしはまだその仕事を実際にやっていないし、人生が終わりを迎えようとしているわけでもないから、そんな総論的なことを聞かれても困る。
 人生は短い。わたしが常々思うことだ。とにかく短い。宇宙が誕生してから今は138億年くらい経っているけれど、一人の人間は長くても100年くらいしか生きられない。じゃあ、それだけ短いんだったら好きなことをした方がいいのだろうか。自分がやりたいことに専念した方がいいのだろうか。いやいや、自分のために利己的に時間を使って生きるのではなくて、誰か他の人のために時間を使うべきだ。そんなことをあてどもなく、ただぼんやりと回らない頭を総動員して考えているわたしである。けれども、答えは出ない。わたしはわたしでやりたことはある。確かにあるのだ。でも、それをやってしまって本当にいいのだろうか。神様がお怒りにならないだろうか。イエスさまが悲しまれないだろうか。これも分からない。またしても答えの出ない問いである。
 わたしは自由に好きなように生きてしまっていいものか。それとも、よくないのか。堂々巡りの問答。
 が、ここで気付いたのはこの問答を神様抜きでやってしまっているのが一番の問題なんだということだ。神様を蚊帳の外に追い出して、自分の頭で、思考で、自分の力だけで考えようとしてしまっているのがそもそもの迷走の原因である。そんなことにふと感づく。

 神様、堂々巡りのわたしの将来のあり方についてどうか助言をしてください。教え、諭し、励ましてください。あなたならどんな人間にも優る知恵を授けてくださるだろうと信じています。どうか教えて下さい。主イエスのみ名によって。アーメン。

 神様と対話をして最善の道を教えていただこう。で、その道に進んでみて、それでダメだったらまたその時はその時でまた神様とお話して進むべき道を示していただこう。それを繰り返していけばきっと何とかなる。そう信じてやっていこうと思う。
 もしかしたらだけど、どちらの道に進むか迷ったら両方選ぶというのもそれが可能なら一つの手かもしれない。(どちらの資格を取るかという場合とか)
 やったことは決して無駄にはならない。経験として積み重なっていって、大切な糧となっていく。だから、失敗を怖れないでトライしていこうと思うんだ。前を向いてやっていこう。きっと道はひらける。ひらけていく。

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