2021年も今日で最後の日だけれど

いろいろエッセイ
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 年が変わる。今日は年越しの大晦日。が、全然そうした実感が沸かない。今頃、紅白歌合戦がやっているころだろうけれど、まったくそれにも興味なし。年越しそばも食べていない。今日スーパーへ行ったらそばのコーナーに家族連れがいたっけな。そうか、年越しなんだ。大晦日だったんだ。どうりでそばなわけだ。
 実感が沸かないのはなぜだろうと考えると自分でもよく分からない。もしかしたら、新聞も読んでいないし、テレビも見ていないしで、まるで仙人(なわけないけど)みたいな生活をしているからだろうか。ともかく社会から距離を置いていることはたしかだ。だからなのだろう。12月31日という感じが全然しないのだ。31日というよりは、まだ20日頃くらいのような感じ。
 時間の感覚が、過ぎる感覚が変わってきているのかもしれない。
 では、年越しの大晦日らしくこの1年を振り返ってみようではないか。この1年、何やってたのかな。思い出せん。悲しいことに何かをやっていたはずなのだけれど、思い出せないのだ。あ、思い出した。そうそう、祖母が8月に余命1ヶ月って宣告されたんだっけ。それで、大慌てで京都のおいしいお豆腐を結構な値段したんだけれど取り寄せて相当喜んでくれたんだっけな。あの豆腐は本当にうまかった。あのうまさはただものじゃないよ。で、さらにさかのぼること2ヶ月くらいだったかな。祖父が腸捻転で緊急手術になって、手術が無事成功してICUに入って、で退院して、それから施設に入所したんだったよな。あれ、違ったっけ? まぁ、自分のブログを読み返せばわかることだけれど、まぁ、そんなことがあったんじゃないかと思う。わたしのぼんやりとした記憶では。
 要するにこの1年、わたしにとってはいろんなことがあった激動の1年だったんだな。それから、そうそう、8月からヘブライ語始めたんだった。あの頃はアレフベート3つしか言えないところからのスタートだったな。それが今では文法やってるんだものな。すごい進歩だよな。
 それから、そうそう、ってそれからが多いけれど、この「星さん.net」立ち上げたの、たしか6月だったよね。だと思ったけど違っていたら恐縮であります。確認。ふむふむ。違ってた。がびーん。5月らしい。何かこのブログ、2~3年前からやっているようなそんな感覚がする。まだ半年くらいだというのに、この時間が過ぎた感の半端なさはきっと毎日がとても濃いからだろう。生活の密度が非常に高いからだと思う。
 こうして昔のことを思い出しながら思うことは、記憶って、時間って不思議だなってこと。たしかにその時の写真とか文章とか、モノなどが証拠として残っているけれど、それがもし全部なくなったとしてもわたしたちの中には記憶が残っている。それも消えたら忘却の海ですな。わたしたちが生きていられるのは記憶があるからだとつくづく思う。記憶ができなくなったら生きていくのはやはり難しいのだ。
 ところで、ブログに書いてなかったことがあります。それは、祖母が施設に入所して生活していたのだけれど、感染症にかかったらしくまた入院になったということだ。まぁ、このブログで自分のすべてをさらけ出す必要はないと思ったので、このことを書こうか書くまいか迷っていたけれど、星さんは律儀な人なので書いたのでした。(結局さらけ出すってことね。)文章というのはすべてのことを書くことはできないから情報の選択がそこではなされているのですよ。すべての情報を書いたら何億ページもの本を書いてもまだ足りない。だから、要約したり、情報の取捨選択をする必要に迫られるのは当然のことなのだ。
 さて、話を戻して今日が大晦日で最後の日だという気がしないと書いたけれど、それと同時に明日が新年だという気もしない。困ったなぁ。全然明日が1月1日っていう感じがしないんだよな。困ったな。星さん、困っております。
 ダラダラ書いてきたこの文章もダラダラと幕を閉じようとしております。それと同じようにこの2021年という年もだらだら、だらだらと終えようとしている。まぁ、そういう大晦日があってもいいんじゃない? 別に大晦日はこうあるべしなんていうのは特にないから。各人が好きなように好きなことをして過ごせばいいと思うなぁ。
 まぁ、ぼちぼちあせらずほどほどにやっていこう。あせっても大してメリットないよ。

 神様、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。皆様に豊かな神様からの祝福がありますように。

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