キリスト教エッセイ

キリスト教エッセイ

10年前の写真を見ながら

少し前まで、昔の写真を眺めていた。それはもう10年前の光景で、あの頃はまだ両親は離婚していなかったし、祖母は当たり前だがもちろん生きていたし、祖父も施設には入っていなくて自分で歩けていたし、わたしも今よりも若かった。 この写真、どうやら新年...
いろいろエッセイ

キリスト教とヨガが正面衝突

最近、『ヨーガスートラ』を読むようになり、インド的な考えにふれるにつれて、わたしの中で迷いのようなものが生じてきた。前通っていた教会の牧師がたしか「信仰の妨げになるような本は読まない方がいい」ってわたしにアドバイスしたけれど、キリスト教の視...
キリスト教エッセイ

わたしの信仰の形

この前の日曜日も教会へ行ってきた。クリスチャンになって4年目になろうかというところだけれど、わたしの中に確実に変化が起こってきている。礼拝の説教を聞いていたものの、どこか物足りない。説教の内容が悪いとか下手だとか、そういうことではなくて、お...
キリスト教エッセイ

みんな泥まみれ

わたしのこのブログのアクセスログによると、あるサイト経由のアクセスがとても多い。で、考えたんだ。これって何のサイトなんだろう。詳細までは分からない。けれど、やっと紆余曲折を経て分かったのだ。Yだ。Yのブログからだ。 はじめて見るYのブログ。...
キリスト教エッセイ

礼拝の説教の感想「素敵なおじさまクリスチャンを目指して」

今日は日曜日。というわけで、恒例の礼拝の説教の感想を。と行きたいところだけれど(「と」が多いな)、実は説教中に睡魔が襲ってきて眠ってしまい、ほとんど聞けなかったんだ、などというのは嘘で、最初から最後まで星さん、それは熱心に牧師先生から一瞬た...
キリスト教エッセイ

わたしのプロセス

本などの著者略歴を読むたびに、以前のわたしはため息をついていた。彼らの華々しいプロフィールとは裏腹に、わたしが実にパッとしない人間であることを思い知らされていたからだ。わたしが読む本の著者たちは、東大、京大、慶応、早稲田、名だたる学校の出身...
キリスト教エッセイ

礼拝の説教の感想「世界をポカポカに」

今日は日曜日なので、教会の礼拝に行ってきた。そして、一休みしてあともう少しで午後の2時といったところ。それにしても暑いですね、と言いたくなるほどの快晴。お天気日和まっただ中である。 今日は平和主日ということで、いつもの福音書ではなく、ミカ書...
キリスト教エッセイ

人の評価がほしいのは自信がないから

Twitterがあれほど自分には合わないと言いながらも、それからちょくちょくやっていたわたしである。 ある時、わたしはこんな内容のツイートをした。「パッとしないブログに、パッとしないTwitter……」などと自身の置かれた状況を少し悲観して...
キリスト教エッセイ

礼拝の説教の感想「わたしが、わたしが」

只今の時刻は午後1時かといったところ。今日は日曜日で教会へ行ってきた。礼拝なのだ。というわけで、礼拝での説教の個人的な感想をまとめてみたいと思う。 今日の聖書の箇所はルカ12:13-21。なかなかイエスさまは厳しいことを言われているところで...
キリスト教エッセイ

小さな小さな社会貢献

今日、何日ぶりに新聞を読んだことだろうか。途端に、わたしの気持ちは複雑になった。暗く沈んでくる。新聞を読むというのは世間のたしなみとされているけれど、決してわたしたちに明るい希望を与えてくれるものではない。とにかく暗いネガティブなニュースの...
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