風になりたい

いろいろエッセイ
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 こうして文章を書いている。なぜ書いているのか? 書いても書かなくても意味などないのに、それでも書いている。だとしたら書きたいから。それだけなのだと思う。
 と言いつつも、こうして文章を書き、曲がりなりにも世間の目にさらしているのは、わたしが自己完結していないからだとも言える。自分自身が他者の承認などと無縁にやっていけるだけの気概があるなら、別に他者、世間、社会が何を言おうと関係ないからだ。
 この2年ほどでわたしを取り巻く状況は目まぐるしく変わっている。ヨガの道場へ通うようになってから、その変化は著しい。
 でも、一方でそれが何なんだという疑問は常にあって、心身ともにたくましく精悍になり、いわゆるイケてるできる感じのお兄さんにはなったものの、死を想うことは相変わらずだった。つまり、どんなにカッコよくなっても、どんなに頭が良くなっても、どんなにお金持ちになっても、どんなにいい暮らしをしていても、それを「これでいい。よし!!」と認めて、それで足るを知ることができなければ、いつまで経っても欲求不満で不幸のままだということ。その姿はスマホを片手に画面を食い入るように見つめて、自分に足りないことや持っていないものなどを調べて、足りない、足りないと渇き続けている姿そのもの。
 最近、ある人からわたしのことを全否定する内容の長い文章がいつものように送られてきて(まさに批判の達人)、それを読んで心底嫌になって、その人にこのブログをやめる旨を伝えた。ここ一ヶ月くらいこのブログを閉じていた。でも、サーバーを結構長い期間でレンタルする契約をしていたものだから、今やめて解約、退会しても何もメリットはない。そんな感じだったけれど、とにかく一旦、ブログをお休みしたかった。そして、また気を取り直せそうなので再開しようと思い、今に至る。
 40年ほどわたしと付き合ってきて思うことはどうやらわたしは普通ではないらしいということ。だから、わたしが考えたり思うことというのは奇抜で普通の人たちには理解してもらえないことが多い。何とか論理と一般常識によって、空中分解せずにいるような、そんな不安定な人と言うのがしっくりくるかもしれない。それにわたしが気を遣うポイントがずれているというのも多くの人から不興を買ってしまう。さらに、わたしが気を遣ってほしいポイントも多数派とはずれているようだ。
 いろいろやってきて、今、わたしはどうなりたいのか、何をしたいのかと胸に手を当てて虚心坦懐に自分の感覚的な声を聞いたら、なぜか「風になりたい」ようだ。普通はあれがほしい、これがほしい、資格を取ってこの仕事につきたい、お金持ちになりたい、結婚して幸せな家庭を築きたいということを思うはずなのに、わたしはただ「風になりたい」と思う。人が風になることはできるのだろうか。幼稚園の時にクラスに一人くらい「大きくなったらカエルになりたい」と言う子はいるけれど、それに近いような、でも、またそれとは遠いような。「風になりたい」という願いには風だけに違う風が吹いていることはたしかだ。
 世間から見たら、わたしは、ますますおかしいことを言うようになっていて、トンデモな世界の住人さんですね、ということになる。でも、わたし自身、普通ではないのだからこれでいいと思う。
 先日、初めて占い師さんのところへヨガのことなども含めてスピリチュアルなことを相談してきた。そうしたらとても気持ちが楽になって落ち着いた。ヨガをやっていて現実感覚がなくなってきたことが苦しいという話もした。わたしが感じていること、苦しさの原因、生きる意味がスルスルとスピリチュアル的に説明されていく様子は爽快だった。普通ではない相談は普通の人にしてもおそらくダメで、ぶっとんだその道の人に聞くのが一番だということがよく分かった。しかし、その世界観があまりにも世間の常識と相容れない。占い師さんはわたしのことを「スターシードではないか」と言った。帰ってからそれをネットで調べてみたら、どうやらわたしの魂のルーツは地球外であるらしい。希死念慮がある冴えない感じの中年のおじさんがある日突然、「あなたの魂のルーツは地球外で、地球の次元を高めるために生まれてきたのです」と突然勇者に選ばれたかのような感覚だった。そのネットの説明を読んでいたらことごとくスターシードの項目があてはまるのも驚きだった。
 そして、よくよく考えてみたらますます不思議だなと思うことが。このブログを星大地名義でやらせてもらっているのは周知の通りだけれど、スターシードのスターはまさに星だ。星のスターだ。何かあるのか、それともないのか。で、今のわたしは星ではなくて風になりたい。神妙で摩訶不思議。
 風の吹くままに。直観でGO。頭がちょっとキリキリしてだる重い。38度4分。風ではなくて風邪をひきました。

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