木曜日に病院へ行って、金、土、日、月で今日は月曜日。あれから病院からは祖父の危篤を伝える電話はかかってきていない。便りがないのは良いことなのかな、と思いつつずっと祖父のことが気になっていたわたしは思い切って祖父が入院している病棟に電話をかけてみることにした。もしかしたら深刻な状態がずっと続いているのかな、などとおっかなびっくり電話してみたのだ。が、少なくとも連絡が来ていないということは祖父は死んではいなくて生きながらえているということ。一番の最悪の事態は訪れていない。
電話してみると担当の看護師が出られないらしくて、またこちらの携帯へかけ直してくれるとのこと。電話をしばし待つことにした。
かかってきた。病院からだ。この電話は危篤の電話ではないということが事前に分かっているせいか、そう身構えることなく電話に出ることができた。けれど、おそらく深刻な事態は今も続いているのだろう。良い知らせはおそらく聞けない。
と思いきや、開口一番、看護師の声が明るい。意外というか、この看護師さんがもともと明るい人なんだろうか、って思ったけれど、それもあるかもしれないものの、またもや意外な展開がわたしを待っていたのだった。って、この先、気になりますよね? 星さんのおじいさまはそれからどうなったのって思いますよね? 気になるよね? って星どん引っ張ってもったいぶりすぎ。早く言え~ってイライラされている方、イライラさせてすみません。でも、結論から先に言うと、祖父は回復して良くなってきたんです。良かった~。パチパチ~(あなたも拍手してくださいね。それも拍手喝采希望です)。
今、祖父がどんな状態かって言うと、①酸素マスクで酸素をマックスにして健康な人くらいの酸素飽和度を保てている。②誤嚥性肺炎の肺炎については金曜日にかけては悪化していたけれど、それから抗生剤を追加して今日撮ったレントゲン写真を主治医が見て回復の具合を判断するとのこと。③木曜日には38度5分くらいだった体温が今日は平熱の36度6分。
何よりも酸素飽和度が酸素マスクをしているものの、健康な人と同じくらいになっているというのが素晴らしすぎることではありませんか。木曜日に酸素飽和度が酸素マスクをしても上がらなかったら死に至る、といったことを聞かされていたわたしは今日のこの知らせを本当に嬉しく思ったのです。やったね、おじいちゃん。これで棺桶に突っ込んだ片足をまた元に戻せたよ。肺炎の回復の程度は今日の医師の判断待ちというものの、体温が平熱になったっていうことは炎症がやわらいで治まってきたっていうことなんじゃないの? と素人のわたしは思うのだけれど、祖父自身も高熱であるよりも平熱の方がそりゃあ楽だろうし、過ごしやすいことだろうと思う。よかったね、おじいちゃん。お熱も下がりましたね。もしかしたら、もしかしたらだけれど、1月2日の94歳の誕生日、迎えられるんじゃないか。そんな希望も出てきた。
本当、神様、病院のスタッフの皆様ありがとうございます、だよ。
それから母が木曜日に祖父に言った「頑張って」という言葉も効いたのかもしれない。わたしはその言葉を母が祖父に言っているのを見ていたんだけれど、この状況下でそれはきつすぎるんじゃないかって思った。でも、母に言わせれば祖父の家系は神経が図太い人が多くて、「頑張れ」とかいう言葉が好きなんだそうだ。それに木曜日、母がその言葉をかけた時、苦しそうな祖父ではあったけれど、一瞬笑みがこぼれたようだったんだ。だから、頑張れも使いようというか、病人に何が何でも頑張れって言っちゃいけないわけではないんだな、ということをわたしは今回のことから教えられたのだ。頑張るのが好きで、むしろ弱々しい言葉をかけられて心配される方が気が滅入る祖父なのだろう。母は祖父のことをわたしよりもよく知っているようだ。って当たり前だけど。「頑張れ」か。言葉の選択って難しいけれど面白いな。
わたしはこの4日間あまり寝る前に祖父のことをお祈りした。祖父を生かしてほしいと祈り求めながらも、一方ではもうだめなんじゃないかと思って、祖父を召されるのでしたら苦痛のないようにお願いします、などと一貫性のない迷いのあるお祈りをした。この迷いまくっている、何を神様に求めているのか自分でも混乱していて分かっていないような祈りであったものの、それでも神様は最善の形でわたしの祈りをかなえてくださった。ありがとうございます、神様。本当、ありがとう。無神論的な人がこの様子を見たらきっと、神様なんかいなくてただ病院の治療が功を奏しただけだよ、と突き放されるかもしれない。でも、もちろん医療関係者の尽力もあったけれど、それでも祖父に聖なる力が働いたんじゃないかって証明することはできないものの、わたしはそう思うんだ。
この調子で無事に行ってくれれば、12月25日、日曜日のクリスマス礼拝、つまりは母の洗礼式も祖父の葬儀を行うことなく迎えることができるだろう。何という恵みなのだろうか。ありがたい、ありがたい。ありがたいよ。そして、さらには祖父が誕生日を迎えることがもしかしたらできるかもしれない。そんな胸の高鳴りを感じ始めているわたしなのだ。
母が次の日曜日のクリスマスに受洗する。祖父も生きていられそうだ。二つも素晴らしいことが重なっている。嬉しい。嬉しいよ。今年のクリスマスは忘れられないクリスマスになりそうだ。そして、クリスマスには世界中の多くの人がまた洗礼を受けて神の家族の仲間入りをする。わたしの母だけではなくて、多くの人たちが受洗する。クリスマス。あぁ、クリスマスなんだ。
祖父の回復の知らせを電話で聞いて嬉しい星さんとその母。祖父が生きながらえてくれること。母が受洗すること。この二つがわたしへの神様からの大きなクリスマスプレゼントなんだ。物をもらうのも嬉しいけれど、今年のクリスマスにいただくものは格別だな。
祖父が回復してきている。嬉しいなぁ。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。