本当に貧しい人とは

いろいろエッセイ
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 本当にこれって必要なものだったのだろうか、とわたしはクレジットカードの請求額を見ながら思う。でも、わたしが付けているポケモンのおこづかいちょうの内訳を見ると、無駄な買い物だとは思えない。必要なものだったのだ、と自分自身を納得させようとする。
 納得したかに思えたものの、もしかしたらこうした買い物をほぼやめにしてもやっていけるのではないか、という思いも一方では浮かんでくる。
 お金というものは、スルスル、スルスルと水のように手元から流れて消えていってしまう。この流れをどこあたりで、せき止めるなり何なりして、これ以上流れていかないようにするのか。
 わたしは生きている。生きているということは何かを欲しいと思うことなのかもしれない。物が欲しいとかそういう物欲ではなくても、おいしいカレーが食べたいとか、衣服を清潔にしていたいとか、一緒に生活する素敵なパートナーがほしいとか、愛されたいとか、そうした欲求がある。それが生きているということであって、それらが全くなくなってしまう時、人は生きる屍となってしまうのだろう。
 仏教では、こうした物欲などの欲求、またその他いろいろな欲も含めて、何かに執着してしまうことが苦しみの原因なのだから、そこから自由になることを説くし、勧める。でも、それだって完全に欲を捨て切れてはいない。もちろん、煩悩にまみれた凡人よりははるかに高いレベルに到達しているだろうけれど、それでも悟りたいとか、自由になりたい。あるいは平安を手に入れたい、という欲望はしっかりとある。そうした欲求、求める気持ちさえもなくなったとき、無我の境地にいたり、静かな何物にも煩わされない無の境地に至るのだろう。
 まぁ、そういうすごい人の話というか、わたしにとって異次元のような世界の話は置いておくこととしよう。とりあえず、わたしが月々の収支をやりくりすること。それが課題なのだ。それを考える時に、今のままではいずれ貯金を切り崩していく感じにならざるをえなくて、家計的にも窮乏してしまうのだ。そうならないためにどうしたらいいのか、というのがわたしの課題である。
 もうこうなったら極力、ネットショッピングはしないと決まりを作って実行するしかないのかもしれない。何も月々に浪費がかさんでいて、うん十万円も使い込んでいるとか、そういう話ではない。いって数万円の話だ。でも、その超過が痛いのだ。その超過が、赤字が累積していくと痛いのだ。それはわたしの貯金が減っていくことを意味する。
 本はある。しっかりとある。それもわたしに読んでもらうのを待っている本が何冊もある。だから、それらの本にぼちぼち地道にまずは取り組んでいくことではないか。わたしの興味関心は次々に移って変わっていくから、その時読みたいと思って買った本も今ではどうしても読みたいという感じではなくなっていることはままある。でも読むのだ。あるもので、あるもので足るを知るのだ!
 わたしは煩悩まみれの凡夫でしかないけれど、少ない欲望、そして小さな欲望で満足していけるかどうかにかかっていると思う。たくさんの欲望、そして大きな大きな欲望をかなえていく人生ももちろんある。けれど、わたしのように働きたくない人間は小さな欲望を大事に大事にかなえていくくらいが身の丈に合っているのだ。と言いながらも、ヘブライ語ができるようになりたいとか、この勉強がしたいとか、もっとこの分野の本を読みたいとかいう知的な欲望は小さくしぼめることなく、自分のわずかな収入をやりくりして全力で取り組んでいく所存だ。
 これに絡めて思い出すのは、『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本を以前読んで、あぁ、人間には大きく分けて二種類あるんだなぁという発見だ。それは「たくさん稼いでたくさん使う人」と、「少し稼いで少し使う人」の二種類だ。と大きく二分してしまったものの、他には組み合わせとして、「たくさん稼いで少し使う人」と、「少し稼いでたくさん使う人」もいるとは思う。けれど、まぁ、多そうなのは先に挙げた二種類の人種ではないだろうか。この本を読んで、みんながみんな、たくさん稼いでたくさん使う人になれなくても、いや、ならなくてもいいんだなってわたしは気付けたんだ。本の著者は少し稼いで少し使う人で、彼自身はそれでものすごく楽しくやれていて、幸せを満喫できている。だったら、別に大量生産、大量消費みたいな生活を送らなくても、少しのもので満足できるならそれでいいのだ。
 少しとは言いながらもなさすぎても生活できないけれど、少しのもので満足できる人というのは尊いとわたしは思う。たくさんのものがなければ満足できない人よりも、わずかなもので満足できる人の方が豊かなのではないか。本当の豊かさとは何かと考えていくと、最終的にはそうしたところに落ち着くように思う。少しのもので、それも高価なものではなく安価なもので幸せを感じることができる。それって最強じゃないか。と同時に環境にやさしい生き方でもあるのは言うまでもない。つまり、足るを知る。この究極的な真理へと最終的にはたどり着くのだ。手に入れても、手に入れても、どんなに高いものやいいものを手に入れても満足できない。それこそ本当に貧しい人間ではないだろうか。物があってもなくても、満たされている人。そんな人になりたいな。そして、慎ましく節度を持って生きて行けたらと思う。ま、それが難しいんですけどね。

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