ここ10日あまりブログを更新しなかった。何というか、記事を書く気持ちがわいてこなかったのだ。久しぶりにアップした「20年」という記事は数日前に書いたもので、これは最新作ではない。というわけで、この記事がほぼ10日ぶりに書いているものなのだ。
今日は、精神保健福祉士のWさんと電話で話をした。コロナ禍になってから、地域活動支援センターへ面談に行くのがためらわれていたわたしは、最初はメールでやりとりをしていたのだけれど、わたしからの提案で月1くらいで電話で話をしましょう、という約束をするようになったのだ。
センターの電話回線があまりないこともあって、本当は面談のように1時間くらい話したいところを30分くらいで、とのことで今日もだいたい30分間のお話だった。
いろいろ話をした。と言っても、はっきりとこれとこれを話して、Wさんがこう返してくれてと再現できるほどには何を話したかは覚えていない。でも、何というか、とても心温まる時間だったように思う。
Wさんはわたしにこんなことをたずねてきた。「最近、ブログのほう更新していないようですが」といった前置きと共に話が始まった感じだった。そうなのだ。Wさんはわたしのブログを読んでくれているのだ。わたしはそれに対して「みんないい記事を書いても評価してくれないんですよ」みたいな多少グチめいた言葉をこぼす。でも、悲壮感ありまくりではなくて、サラっと。
わたしがWさんに明かしたここ数日ブログを更新しなかった理由。それは、一生懸命記事を書いてもみんな評価してくれない。だったらその時間を自分の生活の質を上げるために使った方がいいんじゃないか、といったものだ。わたしは実は寂しかったのだ。これはいい記事書けたぞ、と嬉しい気分になっても、まったく気にもとめてもらえない。で、その一方で、一言日記や明らかな手抜きブログがランキング上位にのさばっている。寂しい気持ちと同時にわかってくれない人たちに少しばかり腹を立ててもいた。自分ではすねているとは思っていないけれど、どうせ分かってくれないんでしょ、みたいな思いもあった。そんなこんなで記事を書かなかったのだ。書きたいという気持ちが萎えていたのだ。
でも、人って単純な生き物だなぁとつくづく思うのは、Wさんにわたしのブログをほめてもらえて、また急にやる気がわいてきたのだ。現金だなぁ。本当、お調子者と言ってもいいかもしれない。他者からの評価に完全に振り回されている星だけれど、でも嬉しかったのだ。Wさんには自分軸を持って他者からの評価に振り回されないようにしたいなどと、大人な抱負をのべていたわたしだけれど、人からほめられるのって嬉しいね。
そういうわけで、またぼちぼち書いていきたいと思います。
思うんだけど、やっぱり人間はメリットがないと行動しないよ。何か得られるものがないと行動しようっていう気持ちにならないんだ。もしもわたしが文章を書いて多くの人からけなされるばかりで、誰もほめてくれずもちろん感謝もしてくれない。そして、かつ自分自身文章を書くことがたまらなく苦痛で嫌。だとしたら、その活動は続かないと思う。やはり、その行動に快が伴わないと習慣にはなっていかない。
誰かからほめてもらうことを第一の原動力にしてしまうのは、自分自身が不安定になってしまうからあまり好ましくないけれど、それでも誰かからほめられることはやる気をかきたてて、行動を続けさせる追い風になる。他者からの評価に依存することなく、その評価をほどよく楽しめるようになりたいものだと思う。自分の軸がしっかりとあって、他者の評価や意見や感想はそういうものだと割り切ってとらえることができる。流されないし、翻弄されないし、顔色を伺いすぎない。ほどよく距離感がとれていて、他の人からの評価をたしなむんだ。
反対に他者からの評価がすべてとなる時には、自分の人生が他者のためにあることになってしまう。他者の評価。それが人生の軸になってしまうのだ。だから、人がほめてくれている時は天にも昇る思いで、逆に見放されたらもうまさにこの世は地獄そのもの。そして、どうしたら、どうやったらまたほめてもらえるのだろうとそればかり考えている。それってもうすでに他の人たちの奴隷だよね。自分が幸福かどうかを決める権限を完全に他者に委ねてしまっているからね。だから、言うならば、誰かの操り人形とかロボット。そこに主体性とか自由はないんじゃないかな。
だから、誰かからほめられれば嬉しいけれど、それに依存したくないとわたしは思うんだ。そうではなくて、自分の幸福を自分でしっかりと味わっていけたらいいな。わたしを幸福にするリモコンのボタンはしっかりと自分で押したいのだ。人任せにするのではなくてね。
わたしは神様の奴隷だけれど、誰か人間の奴隷になるつもりはないし、なりたいとも思わない。
ほめてもらえたら「ありがとう」と感謝する。そして、ほめてもらえなくても不機嫌になったり、いじけたり、すねたりしない。ただ、そういうものだとおだやかな気持ちでいる。それこそ、平安であり、平和。Wさんが今日の電話でわたしの最近の記事にあった「しなやか」という言葉が良かったと言ってくれたけれど、まさにそれこそ、しなやかなあり方。そして、たたずまい。おだやかな気持ちで、あたたかい心を持ちながらポカポカと誰かをあたためる。そして、しなやかなたたずまい。欲張りすぎかね、星どんは。と、ふと気付く。これってヨーガ的な生き方じゃないかってね。わたしが好きなヨーガの英雄のポーズのような、あんな感じのしなやかさ。憧れるなぁ。
Wさん、しなやかという言葉にビビっとくるところが鋭いですよ。お目が高い!!
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。