苦難は人を優しくする

キリスト教エッセイ
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 今日、祖母が入院している病院に行ってきた。お見舞い? いやいや、違うのだ。祖母の主治医から説明があるとのことで行ってきたのである。嫌な予感がぷんぷんしている。きっとこれは良くない知らせだろう。と、わたしの予感は的中する。
 祖母は血液の病気だけれど、ついに白血病化したのだ。つまり、白血病になってしまったのである。そして、末期だと主治医は言う。
 もう長くない。ついに余命一ヶ月。それも今回のは本当にマジで一ヶ月らしい。
 そして、白血球の数がどんどん増えていって落ち着かないようだったら、病院での看取りになるらしい。もしも、その数が増えていかないようだったら、退院になって施設へと戻ってもらうとのこと。でも、祖母は延命治療を希望していなくて、家族もそれは希望していないから、病院ではそういったことはやらない。祖母が退院できるか否か。それは今後の数値次第なのである。
 そして、あの生命線の輸血をやっても効果がみられないくらい末期になったら、ついに輸血をしないとのこと。まさに看取りなのだ。最期の時なのだ。
 祖母が死ぬ。今度こそは確実に死ぬ。死ぬのだ。あと1カ月の命。わたしは祖母に何をしてあげられるのだろう。何ができるのだろう。祖母は今、入院していて、コロナのご時世だから面会はできない。けれど、携帯電話は持っていて、ちょくちょくわたしのところへと電話がかかってくる。今日もわたしの帰り、電車に乗っている時にかかってきた。電車の中だったから出られなかった。家に着いて、祖母に電話をかけた。
 わたしは祖母から「先生は何て言ってたの?」と聞かれた。もう隠してもしょうがないので正直に、しかし少しばかりオブラートに包んで、一ヶ月で死ぬらしいとは言わず、「残された時間が短いと言っていましたよ」と少しばかり言い方を変えて言ってみた。すると祖母は本能的に自分の命があとわずかなのを感じていたのだろう。とうとうとわたしに感謝の言葉を述べ始めたのだった。すべてはわたしとわたしの母のおかげだと涙ながらに言う。わたしがこの齢まで生きられたのもわたしたちのおかげだと言う。もう自分のまわりの人たちで生きてる人なんていない。以前住んでいた近所の人たちもとっくの昔にもうみんな死んでいる。残っているのはわたしだけ。そんなことをとうとうとあてどもなく言う。そして、終わり頃、わたしと母のことを「大好きだよ」となかばすすり泣きしながら言う。まだ死ぬ間際ではないが、祖母にとっては明日死んでもいいように、わたしにそのことを伝えたかったのだろう。さらには、わたしのことを賢いから安心して死んでいけるとまでも言う。
 これが同じ人なのだろうか。まだ元気だったころ、悪態をついていたあの人と同一人物なのだろうか。
 病って何のためにあるんだろう? 帰りの電車の中で神様と絡めながら考えていたわたしである。病なんてない方がいいに決まってる。今日、祖母のことを経験する前にはずっとそう思っていた。でも、今は違う。病って優しくなるために、人間を優しくするためにあるんじゃないか。病は人間を成長させて聖化させるのである。病は心を洗い清めるのだ。病になる本人も透き通らせるし、その周りの人々も成長させる。
 だから苦難は人を優しくする。そして、成長させる。決して病などの苦難は無意味ではない。深い深い意味があるんじゃないか、とわたしは思う。
 今日の祖母の主治医の説明の時、祖母も短い時間だったが参加した。そういわけで、祖母とは言葉こそ交わさなかったものの、顔を合わせてはいる。祖母は弱さを体現したかのような感じだった。でも、その弱さの中に力があるという聖書の言葉をわたしは思い起こした。現に祖母はその弱さをもったがゆえに、わたしたちに感謝することができたのではないか。祖母が健康で強いままだったら、きっと悪態をつき続けていたことだろう。でも、そんな祖母に神様は病を与えられた。もちろんわたしは神様ではないから、その真意が何なのかは推測する他ないのだけれど、それでも、そこに意味が隠されていることは事実だ。
 病は侮れない。大切な大切なことを教えてくれる。苦難は人を優しくして、感謝する心をその人に持たせる。苦難には意味がある。絶対にある。

 おばあちゃんへ
 おばあちゃん、90年という長い歳月をよくぞ生きてこられました。人生の最期の集大成の時がやってきました。これから安心して死んでいってください。おばあちゃんが最期に見せてくれたその優しさをわたしたちの糧としてわたしたちは生きていきます。だから、安心していてください。そして、先に天国で待っていてください。わたしたちもじきに行きますから、その時会いましょう。おばあちゃんはイエスさまを信じていなかったけれど、イエスさまはもうすでにおばあちゃんと一緒に歩んでおられました。それがイエスさま、神様だということにおばあちゃんは気が付いていなかったけれど、確かに確かに神様は共におられました。だから、安心してください。神様は決して悪いようにはなさいませんから。
 大地より

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